9月に更新しないのもなんだから、なんかないかと思って。
思ってたんだけど、あんまり筆が進まない。筆が進まないとかいうと、文豪的な感じがするけど、むしろ文豪なんだけど、着物にボサボサの髪にちっちゃい丸眼鏡で書斎で机に向かって、座ったまんまで原稿用紙をくしゃくしゃっと丸めてはポイっていう感じなんだけど。
その文豪のイメージ。古くね?
今の文豪ってあれだろ、スタバでリンゴのマークのノートパソコン開いてガシャガシャいうくらいの勢いでキータッチしちゃあエンターキーをターン! ってしてんだろ。
ちっちゃい丸眼鏡で。ボサボサの髪で。くしゃくしゃっと丸めるものがないから、ノートパソコンを開けたり閉めたりしてんだろ。スタバで。今の文豪ってそうなんでしょ。芥川りゅうちぇるみてぇなペンネームで、長ったらしいタイトルのラノベだかイノベだか、そんなの書いてんでしょどうせ。
あたしだって一応はブログなんてものを書いてますから。もう文豪でしょうよ。あとはペンだこだけだよ。
ツヤっツヤな紙質のチラシの裏はシャーペンじゃ書きにくいみたいな、文豪あるあるだってちゃんと心得てるんですから。
文豪あるあるってなんだろう?
そうすると、スランプってこともあるわけ。神が降りてこない日々が続くことだってあるわけですよ。バカンスかな。神様も長期連休とってんのかな。どっか行っちゃってんのかな。神無月でもないのにさ。
こないの。降りてこないの。
でもさ、ちょっとは更新しておきたいじゃない。なんか書きたいじゃない。主に愚痴みたいなことだよ。もしくは妄想奇想ですよ。奇文雑文いい気分ですとも。
でね。
こういう時はどうすればいいか。スランプの乗り越え方みたいなのも、ちゃんと知ってますから。あたしくらいになりますとね、ちゃんとわかってんです。
いつもみたいに、神が降りてきたとかいって脳と指が直結してるような、理性のフィルターを通してない駄文を垂れ流してブログ更新しましたとかやってちゃダメなんだって。
ちゃんとテーマを設けて。お題を出してそれについて書く。そうすれば、あっちいったりこっちいったりそのまんま二度と帰ってこないような、最初っから迷子の文章にはならないんだから。
ほら、もう1000文字だよ。一切本題に入ってないよ。
こちとら、分厚い本の、それこそ文豪の書いた著名な作品の目次だけ見て他は1ページも読まずに、夏休みの読書感想文を原稿用紙4枚ぶん埋められるんだから。それくらいの妄想力があんだから。
そりゃね、テーマを決めたってその通りになんか書きませんよ。いつも通り、脳から直でお届けしております。脳チョク。
脳チョクってなんだろう?
それでもさ、一応はそういうの書いとくかな。今回はね、おうたの話を書いておきますか。一応。タイトルつけちゃったし。
あの、ブログ書く時にたいていは先にタイトルってつけないんです。
それこそ衝動のままにわーっと書いて、わーが終わってね。終わってすぐはよくないから。ひと晩くらい寝かせましてね。だって、わーが部屋中に響いてるから。声が大きすぎて。エコーが残ってっから。
で、それを読み直してタイトルをつけるんだけど。
たいていは、
「なに言ってんの?」
なんだけど。もしくは、
「あー、おくすり増やしときますね、お大事に」
とかかな。
基本ぜんふまるっと、そういうタイトルになるんだけど。お大事に第二章。お大事にPart4 〜亀の甲羅を煮て焼いて〜。
でもそれじゃなんだからさ。それ以外でギリギリ思いつくなにかを、本文を書いたあとからタイトルにしてるパターンがほとんどなんです。
それが今回は、最初にテーマを決めてますから。音楽のお話でもしようかな、なんつって。
じゃあそこから書き出せばいいじゃん。なんなの。なんなのいつもいつも。文豪がどうとかさ、亀の甲羅を煮るんだか焼くんだかハッキリしないしさ。
どうでもいい妄言ばっかり書いて。読まされてる身にもなんなさいよ。
ありがとう。
絵が埋まらないから。一切関係のないやつを |
歌をうたおう
でね。
おとばなし、ってタイトルで少し前にも書いてて。
その時は、インスト系の音楽で気に入ってるのを紹介というか、そんなだったと思うんですけども。
今回は歌ありのやつを。それも、自分の中では変化球というか、メインではないけど好きだよっていうものを話してみようと思うんです。
もういっこだけ、今回選ぶ条件には、自分が歌えるやつでっていうのがあって。
なんでその条件なのかから書いてくと、また長くなるな。まあいいか。書かないと上手く説明できなそうだし。
あたしゃね。
自分に深く刺さる曲を多く世に出してるアーティスト、ミュージシャンっていうのは今までに4人というか4組というか、それだけしかいないんです。
いないというか、出会ってないとしておきましょうか。今後はあるかもしれないからね。急にベートーベン最高! とかいいだすかもしれないじゃん。ジャジャジャジャーンに理想郷を見たとかいいだすかもしれないじゃん。
いわゆるヒットチャートとかは、あんまり寄り添ってないの。趣味趣向のほぼほほが、その4組のミュージシャンで構成されてて、それ以外の人たちのはぜんぜんなんです。その差が激しいというか、100かゼロかみたいな。
星の数ほど曲があって、ミュージシャンがいて、だとしたら自分に刺さる曲とかミュージシャンがもっといてもいいと思うんだけど、そうはなってないのね。
やっぱりその、原体験に近いものが今も好きってことも、多少は当てはまってる気がするし、あとは加齢によってそういうセンサーが摩耗しちゃってる部分もあるとも思うんです。
オジサンが今の流行りについていけない、みたいなのって、はるか昔からずっと繰り返されてきた現象じゃないですか。自分もそうなってる部分は少なからずあると思うんです。
その結果、自分が一番アツアツだったころに聴いた曲が未だにいいみたいなところに帰っていく、ってこともあるし。それもやっぱり大事だったりするしね。
アップデートにあこがれる古いOS、みたいな気持ちもなくはないし、そういうのが混ざってる状態だと思うんですね。
そんな、ごくごくせまいストライクゾーンをお持ちのあたしでも、おっ!?っと思う曲ってゼロじゃないわけです。いいなと思うアーティストがいないわけじゃないの。
ただ、この曲いいな好きだなと思って、じゃあそのアーティストの他の曲を聴いてみようってなると、あれ違うなあっていうことはままあるんですね。
ある意味、一発屋的な。一発屋っていうと世間一般でいうところのそれとは意味が違ってくるんですけど、マイ一発屋というかオレオリコンで急上昇な曲というか、オレベストテンで17位くらいのやつというか。
そうか、過去記事で没になった写真をドサクサに紛れて! |
自分が歌えるということ
でね。
もうひとつ、事情がありまして。
一時期ほどじゃないけれど、ちょっと前までは、なにかにつけてカラオケに行く機会があったんです。
カラオケじゃなくても、飲み屋さんに行ってちょっと歌う? みたいな流れになったりして。
そういう時にいきなり、中島みゆきで「世情」ってわけにもいかないでしょう。あたしがいくら、中島みゆきが好きだから歌いたいからって、その場の雰囲気ってもんがあるんだから。
重めのアコギのイントロからマイク持って、♫よのなかはいーつもー、ってやっちゃったら、ちょっと壊れる空気ってもんがあるじゃない。
じゃあイエローモンキーならいいかっていうと、これが不思議なものでやっぱちょっと違うっぽいの。他の、一緒にカラオケとかに行くことになった人たちの空気感とは違うことがけっこうあって。
こっちにはドストライクでも、あちらさんにはどうやらそうじゃないぞっていう。
いや別にいいんですよ。延々と、あるいは切々と自分の好きな曲だけを歌ってりゃいいの。
声が枯れるまで「背広の下のロックンロール」とか歌えばいいの。ノリノリで「Morality Slave」を歌っていいの。
そういうのを許容してくれそうな人とカラオケなりに行くぶんには、遠慮しないでそうしてりゃいいんだけど、そうじゃない場ってもんがあるじゃない。
選曲の意外性とか、もしくはこの世代の人がメンバーにいるから、この曲がウケそうとか。
要は、場の空気とか他人のウケを気にする場で歌うことになると、そういう時に手持ちの曲がそんなにないなと。
あといきなりハードパンチかますのもどうかと思うじゃん。アルバムの中の一番ディープなやつをぶちかます前に、ジャブというか挨拶代わりにあたくしこういうものなんですけど、っていうのも必要じゃない。
だから、持ち歌でもないけど、歌える歌の範囲を広げておきたいってのがあってね。
載せたかどうかは覚えてないけどドサクサに! |
やっておかなきゃいけない感じ
で。
今はサブスクもあるし、YouTubeとかに公式でミュージックビデオもバンバン流れてるし、この曲いいなと思ったら歌えるようになるまで繰り返し聴けるでしょ。
昔はそうじゃなかったの。
有線とかラジオとかで自分のアンテナに引っかかる曲に出会ったら、どうにかして歌ってるアーティストと曲を特定してCDを買うしかないわけ。
下手したら、知らねぇやつが知らねぇアレンジで、色んな有名アーティストの歌を詰め合わせにしたようなカセットテープとかあったからね。
タイトルだけしかわからなくて、そういうカセットを買っちゃって、聴いたら「おまえ誰だ!?」ってなったりしたんだから。
あとさ、自分の気に入った歌しか歌いたくないってのもあるじゃない。流行ってるかなんか知らないけど、自分的には箸にも棒にもかからないようなどーでもいい歌とかは、やっぱり歌いたくないわけ。
いくらその場でウケようが、気に入ってないやつはお出しできないんです。あたくし、こういうものですってやるのは、そういうことなの。
なので、自分が歌えるキーでなおかつ気に入ってるというそこそこ狭い基準をクリアした曲を、どうにかして入手して歌えるようにしておく、みたいなことがいつの間にか習性になってる部分があるんです。
もうひとつあったわ。
仲のいい、自分のテリトリーをわかってる友人とかとカラオケってこともあるじゃない。
そうなった場合、選曲でちょっと勝負っほくなることない?
それくるんだ、その歌うたうの、その曲どこで知ったんだよ、てゆーかお前いつ練習してんだよ的な、そういう戦いになることない?
自分のコレクションとか宝物の見せあいっこみたいなさ。あるいは、相手の選曲にちょっとかかってる歌にするとか。友達同士でカラオケに行くと、ちょっとアニソン縛りに一瞬なったりするじゃん。
そんな感じになることもあって、そういう時用の曲も準備しておかなきゃいけないんです。
え、待って、おかなきゃいけないってなに。どういうことなの。おかなきゃいけないってなると、もうちょっと強制感あるじゃん。誰にも言われてないのに。どういうことなのそれは。
…さて。
えーと、ようやく本題です。てゆーか、本題に入っていいですか。もう前置きはよくないですか。なんなのもう。
まずは一曲目。
ドサクサドサクサそーれそれ! |
恋人よ / 五輪真弓
こういう感じ。なに出してくるんだろうな、っていう空気感ね。カラオケスタート時の感じ。
こういう時に90年代当時ならミリオンセラーな曲とか入れたくないわけ。でも誰も知らない曲を歌っても、みんなキョトンとなるだけじゃん。
だからといって、歌えない曲を歌ってメロディがわからなかったりキーを外しちゃったりするのも違うじゃん。
そこで出せる曲を準備しておく必要があるんですよ。
え、必要がある?
誰と戦ってんだって話なんですけどね。
曲は有名ですから説明とかはしませんけど、あたしが歌うっていうのがその場では多分意外性があって、いいんじゃないかなと。変化球かつジャブ的な意味で。
もちろん、好きじゃない曲は歌わないの法則通り、いい曲ですよね。脳内のイメージはセピア色の秋のベンチっていう感じ。
アンダルシアに憧れて / 真島昌利
またちょっと昔の話になるんだけど。
昔のカラオケって、電話帳みたいな分厚い本があって、そこにずらっとアーティストと曲名がアイウエオ順で掲載されてたのね。
あれ、待てよ。これを読んでるティーンのかたには、電話帳から説明がいるんじゃね? ナウなヤングなかたには、電話帳ってあれでしょ、スマホの中にあるアプリでしょっていう人もいるんじゃね?
昔はスマホとかないから、みんな紙だったの。
で、今じゃ考えられないけど、その地域のほぼほぼ全家庭に家電があって、その家の家主というか代表者の名前と電話番号と、住所もあったかな。
それが全部載ってる本が各家庭に配られてたんだよ。
今ならさ、個人情報まんまがあちこちにあるって、コンプライアンス的にどうよってなるじゃん。
あと家電とかないところも多いよね。そもそも家電っていう言い方が、携帯電話に対して出来た言葉たと思う。電話を携帯できなかったころは、家にしかないわけだから。
でもそうやって、その市町村の各家庭の電話番号が網羅された分厚い本があって、それが各家庭にあるだけじゃなくて街のいたるところにある公衆電話にも備え付けてあったよね。
あと記憶ね。友達の家の電話番号とか記憶してなかった?
携帯電話のころも初期は、よくかける番号とかは暗記してて言えたよね。登録できるの20件までとかだった気がするし。
今じゃ自分の携帯電話の番号もあやしいけどさ、昔は覚えてた人が多いと思う。
今考えるとすごいけどね。市外局番なしだとしても6桁とか8桁の数字の羅列を、知り合いの名前と紐づけて記憶してたんだからね。
語呂合わせとかにして。それも無理矢理なやつ。ハロニナとかいって。あいつ、ハロニナっぽい顔してるなとかいって。
…で、なんだっけ。電話加入権について語るブログだったっけ。
カラオケの本の話だった。思い出したよ。そもそもは「アンダルシアに憧れて」なんだけど。そこまで戻ってこれてないよ。ダークなスーツに着替えるどころか、まだあこがれてもいないよ。
で、カラオケでこの曲歌おうと思うと、今なら端末があってそれで検索して曲をかけるじゃない。
昔はそのカラオケで流せる全曲が書かれた分厚い本をめくって、曲名順とかアーティスト順になってる本を見て探して、そこに書いてあるナンバーをカラオケの機械本体で入力すると曲が流れてくる仕組みだったの。
もっと昔は、カラオケって要はマイクのついたデカいカセットデッキで。
カセットテープがずらっと箱に入って並んでて、そこからダイレクトに歌いたい曲の入ったテープを探してカラオケの機械にセットして再生すると、オケ=オーケストラ、つまり歌のはいってないカラのオケだけが流れてくるっていうものだったの。
カセットテープが棚みてぇなのにギッシリ入ってて、そこから探すんだから。ちゃんと棚に戻さねぇともう探せないんだから。「北酒場」見っかんねぇんだよ。ハの棚に入れてんの。細川たかしだからハだな、なんつって棚に戻してっから。
だから、SPEEDの「White Love」を歌おうと思ったらあったー! ってなったりして。誰だよ、アーティスト名でカセットテープ戻すのは誰だよ。星野源もあんじゃねぇかって。
あのね、色んな時代まぜんじゃないよ。カセットテープのカラオケがあったころには、SPEEDも星野源も多分生まれてないよ。
あとさあとさ、練習とかで何回も繰り返してそこだけ再生してると、テープが伸びたりするんだよ。ギターにへんなエフェクトかけたみてぇな音がしだすんだから。
あのね、いいんだよ掘らなくて。カラオケ史みたいなのはいいの。掘るんじゃないよそこを。ブログにしちゃあ長いんだから。ひとつの記事あたりの文字数考えろっての。
でも、さっきの電話番号覚えてたって話と似てるんだけどさ。
カラオケの曲の本に曲名とそれをかけるためのナンバーが書いてあるんだけど、そのナンバーを記憶してるやつとかいたよね。
古いタイプのはカラオケにはリモコンすらついてなくて、本体のキーで直接番号を打ち込むと曲がかかる方式だったと思うんだけど。
飲み屋とかでさ、常連のおっさんが店のおねえさんに、
「おーい、1058214いれてー」
みたいなのあったよ。
自分のレパートリーの中でも定番のやつなんだと思うけど、7桁だったか8桁だったかそんな番号を覚えてるやつとかいたもん。
あげくには、DAMだとこのナンバーで、JOYSOUNDだとこのナンバーとか言い出すやつとかもいたもんな。
そのカラオケ本があって、誰かが歌ってる間はそれを見て自分の歌う曲を探すんだけど、前の方でも書いたみたいに自分の守備範囲が狭いのに加えて、マイナーな曲はカラオケに収録されてなかったりするから、だんだん歌える曲がなくなっていくんです。
そうなると、何人がいるなかで順番に歌ってく流れでさ、自分の番までにこれはどうにか歌えそうってのを探さないといけないわけ。
でも、目の前にあるのは本だからさ。曲のタイトルで探すかアーティスト名で探すかしかないの。歌いだしとかサビはわかるとかじゃ探せないの。アーティストの名前がわかったとしても、曲名が出てこないとかけようがないわけ。
そうなると、曲名のアから順番に読んでいったほうが早いってことになり。
そうやってア・イ・ウ・エ・オって読み進めていくと、自分が前にどっかで聴いて忘れてた曲なんかを思い出すこともあるんです。
で、アンダルシアですよ。戻ってきたよ。まー遠回りだったよね。自分で迷いにいったんだけどさ。
ア行じゃん。「アンダルシアに憧れて」はア行じゃん。
そうだ、「アンダルシアに憧れて」だ。
確か日曜日の夜に、ラジオ局が停波してメンテナンスをするでおなじみの日曜に。当時ね。当時は日曜日の夜中はそうだったの。
深夜ラジオばっかり聴いて夜型人間になってるダメ人間には、日曜の夜はつまんないんだ。ラジオやってないんだもん。
でも面白いことに、あちこちのラジオ局がメンテナンスで停波してると、普段は聴こえない地域のAM放送が届いたりするんだよ。
チューナーのダイヤルをゆーっくり回していくとかろうじて人の声がするわけ。ウラジオストク放送とかもあるけどさ、そうじゃなくて日本語で。
いや待って、チューナーのダイヤルを説明しなきゃいけないのか。今日はこんなのばっかじゃないか。
ラジオのチューニング、放送局の周波数に合わせるのって、今は自動だしサーチしてくれるけど、古いラジオとかはダイヤル式だったんです。
今も家電量販店で、ともするとデッキとかスピーカーがある音楽系のコーナーじゃなくて、防災グッズみたいな場所に陳列されてる小型のラジオの中には、そういうラジオがあると思うんですけど。
それを微妙に調整していくと、知らないラジオ局がキー局とかが停波してるなかでも放送してるのが聞き取れたりしてね。
今でも覚えてるのが、そういう日にまったく知らないラジオ番組から、「アンダルシアに憧れて」が流れてきたんです。
で、記憶が確かなら、真島昌利バージョンと近藤真彦バージョンを両方かけ比べ、みたいなことをしてたのね。
この歌はストーリーもすごく頭の中で絵が浮かぶ、駅の片隅でマフィアの彼氏を待ってる女、みたいなさ、そういうのが鮮烈に浮かぶじゃない。
見たことないんだよ、マフィアとか。地下の酒場のカルメンがなんだかよくわかってないんだから。映画だってほとんど見ないしさ。
でも、来ない男を待ってる女みたいな、ちょっと演歌的ですらあるシチュエーションを歌ってるのが、見たこともない国の話で、しかもロックってのがすごく刺さって。
特に真島昌利バージョンはいいんだ。
でも、当時はサブスクとかないからさ。CDを買うしかないわけ。レコード屋に行ってなかったらないんだから。手に入らないんだから。そんなにお金持ちでもないしさ。
で、記憶のどこかには入ってるけど埋もれてるような歌が、カラオケの分厚い本をめくってると思い出せたりしたんです。
しかもア行。こちとら50音順にカラオケ本を読むつもりでいるからね。しらみつぶしに探すつもりだから。
記憶ってのがちょっとキーワードになってるけど、日曜日の音質の悪い途切れがちですらあるラジオで1回聴いただけの歌が、案外歌えたりしたんだよね。
カラオケって、多分いけると思ってかけて、いざ歌おうとすると全然覚えてないのとかもあるじゃん。
なぜか歌えたんです。そういうなぜか歌えちゃったから、自分の中で残っていくみたいなことがあるのが不思議、と。
本文と画像は一切関係がありませんってちょっと匂わせてる時に使うじゃん。マジで無関係 |
宇宙の夜 二人の朝 / ストレイテナー
三曲目。
おかしいな、この記事を書き始めた時は、曲紹介がズラッと並ぶイメージだったんだけどな。まだ三曲目なの。もう相当書いたよ。
二曲目なんか途中で小見出し入れたほうがいい長さっていうか、もうそれだけで一本の記事にしてよくない?
ほぼ無駄話ばっか。
これもラジオで初めて聴いて、すぐにYouTube Musicで検索して、お気に入り的なところに入れています。
なんかで見たんだけど、最近の曲ってイントロが短いのがいいとされてるんだってね。確かにすぐ歌い出す曲が目立つ気もしなくはないんですけど。
それはなんかつまんないなと思ってて。
イントロで掴む曲って、もっというと前奏がすごくいい曲って多いと思うんです。
例えば、ってメジャーな曲を出せばいいんだろうけど、知ってる曲しか例に出せないからよかったらネットかなんかで探して聴いてもらえればいいんですけどね。
例えば、NEW ORDERの「Blue Monday」とかさ。中島みゆきのアルバム「恋文」に入ってるバージョンの「ミラージュ・ホテル」とか。
あとTHE YELLOW MONKEYの「球根」で、これはまだYouTubeでも公式の映像が見られる東京ドームでのライブで、ギターソロから始まるのがあってね。
これはギターソロもかっこいい。
それに加えて、元々発表された時の「球根」はすぐに歌から始まるんだけど、最近のライブでは前奏が入るようになってて、この前奏がすごく好きなの。
それこそ、カラオケでもこっちのバージョンで歌いたいくらい、前奏ありのほうが気に入ってて。
で、「宇宙の夜 二人の朝」ね。
これはイントロがかっこいいの。前奏部分はそんなに長いわけじゃないけど出だしがいいよね。初めて聴いたのがラジオからだったってこともあって、ちょっとザラザラしたイメージが自分の中にはあるんだけど。
この曲は終わり方もいいんですよ。サビで盛り上げてドーン! っていうのも嫌いじゃないけど、こういうのもすごくいいなって。
夢の途中 / 吉井和哉
とかなんとかいって、こっちは歌から始まるやつなんだけど。
カバー曲で、オリジナルは来生たかお、及び薬師丸ひろ子が歌ったヒット曲なんたけど、アレンジが吉井和哉的になっててかっこいい。
アレンジって原曲がなんだかわからなくなるくらいにやっちゃってても、すごくかっこいいものもあるし、そもそも色んなバージョンがあるっていうのが好きだったりするんです。
あとカラオケの話にまたなっちゃうけど、世代が違う人と一緒に行く時には昔の歌のカバーって便利っていうかさ。
年齢高めの人が、ある意味背伸びして今の若者が聴くような歌をうたっちゃうパターンってあるじゃない。
いや、そりゃ好きで歌ってんだからそれでいいし、オジサンオバサンだけどこういうのも知ってますアピールととられようが、そんなのはどうでもいいことで。
あたしの場合その逆で、こっちから迎えに行くっていうか。こんな古い歌も知ってますけど、オジサンたちお好きなんじゃないの的なことも考えたりしてたんです。若いころにはね。
音楽の原体験って、大人の聴いてる曲を自我もほぼないような幼児期になんとなく耳にしてた、みたいなことも含まれるじゃないですか。ママが浜崎あゆみ聴きまくってたら、その子供の原体験は現在好きかどうかは別としてそういうことでしょう。
パパがよく聴いてたんだと。「とん平のヘイ・ユウ・ブルース」をヘビロテしてたんだと。膝で抱っこされながらよく聴かされてたんだと。
その家庭の音楽の趣味のバラバラさね。じぃちゃんはコーネリアス。ばぁちゃんはブルース・スプリングスティーンひと筋。
お前よくまっすぐに育ったな。すごいな。
まあ、古い歌も知ってて、アレンジされた今の解釈のもどうですっていうのが、色んな世代がいる場ではいいのかなって。
めぐりあい / 井上大輔
こっちはオリジナルです。てゆーか、色んな人がカバーしてるけど、どれもよくなくて。
カバー曲とかって、原曲原理主義みたいな人にはウケがよくないもんだけど、そういうのともまた違うんだけどさ。
さっき書いたようにカバーすること自体はいいと思ってるし、発見もあるし聴いてみたいって思うんです。
ただね。
何度が出てきた原体験の話じゃないけど、やっぱり自分の出会った思い出とかさ、時代とか。そういうの込みで自分の中に残ってるものじゃん。
特に音楽ってそういうものだと思うんですけど。
だからカバー曲が、なんかしゃらくせぇ感じのさ、素人動画のうたってみた程度の感じで聴こえちゃうってことはあると思うし、御本人のが一番いいやってのはある意味大前提だったりするし、していいと思うのね。
それでもあたしゃね、「Blue Monday」はHARDFLOORのリミックスバージョンが最高だと思ってるし、さっきの「夢の途中」だってこっちのがいいと思ってる。
けど、「めぐりあい」については、原曲がやっぱいいな。儚い感じがするんです。行き場のない少年がやっと見つけたって感じがするのがいいの。
この歌は機動戦士ガンダムの映画版の主題歌でね。映画版を見た記憶はあるし、もちろんそこで聴いてるはずなんだけど、その時はいいなとは思わなくて。むしろ青臭いというか。
で、いいじゃんって思ったのは、けっこう最近なんです。それこそサブスクとかのおかげで、定額払ってれば色んな曲が聴けるようになって、そういうのでちゃんと聴けたっていうのがあって。
映画、特にガンダムの主題歌だからさ。映像にみんな持ってかれちゃうみたいなのってあると思うんですよ。映像のバックでかかってる曲って、映像に引っ張られるっていうか。
ミュージックビデオとかもそうなんだけど、音楽入ってこないってことない? それを狙ってるんだろうなっていうのもあったりするけど、音楽単体で聴いたのとは違うイメージがついちゃったり。
それはそれで悪いことじゃなくて、例えば街を歩いてる時にヘッドフォンで聴く音楽と家で聴くのとじゃ、音も違って聴こえるしそういうのもいいじゃない。
それと同じで、「めぐりあい」を単体で聴いたらすごくよくて。
じゃあ同じ映画版ガンダムの同じ井上大輔の歌う「哀 戦士」はどうかというと、ぜんぜんなの。
今回のブログはそういう曲を紹介してるんだけど、同じアーティストの他の曲もいいのかっていうと、そんなになんです。
吉井和哉は好きだし、彼のオリジナル曲は見事なまでにどれもこれも刺さってくるんだけど、吉井和哉のカバー曲はオリジナルのように全部いいみたいにはなってなくて。もちろんいいのも多いんだけど。
でもさ、最初に聴いた時はぜんぜんだったのに、今聴いたら「めぐりあい」いいじゃんってこともあるわけでしょ。
じゃあ、今はぜんぜん刺さらなくても、将来どこかで聴き直したらあれすげーいいじゃんこれ、ってことだってありえるわけ。
でも、今は明確に差があるの。
そこになにか線引きがあるんです。これはいい、他はちょっとみたいなのが、少なくともあるのは間違いないの。
このゆれる感じというか。曖昧なのに区別はちゃんとあるみたいなことを書きたかったの。あったりなかったりする気持ち、みたいなことを書きたかったんです。
これはなんなんですかね。
知らねぇよ、っていう。訊かれてもっていう。
あのね、冒頭で、もう覚えてないかもしれませんけどね。
今月、そんなに書くことないんだけど、ブログを一回も更新しないのはなんかアレだなと思って書き始めてるってのを、まんま書いたじゃないですか。筆が進まないとか書いたじゃないですか。
長くね?
それにしては長くね?
そんな終わり方だよ。そんな。