夏休み信越放浪記 6日目&7日目前半

2017年8月22日火曜日

#夏休み信越放浪記 #旅

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 長野県の旅も6日目。
 計画のない放浪旅も、いつしか切り上げる日が来てしまいます。この翌々日には旅ボケした頭で仕事に戻らなくてはなりませんから、残り2日が旅のリミット。
 とはいえ何も急ぐことはないんです。好きなように好きなところへ、行けるだけ行ってしまえばいいの。
 

アップルラインを北へ


 昨日買っておいたパンを食べながら、一日の始まりです。
 昨夜を過ごしたネットカフェは食べ物の持ち込みが禁止ですから、車の中にパンを残したままだったのですが、幸い朝からガンガンと日が照って車内の温度が上がることはなかったので、まあ大丈夫だろうと。
 
 スーパーに、テナントなのか直営なのか知りませんけど、パン屋さんが入ってることがあるじゃないですか。意外と美味いなと思う店もありますよね。
 その時は、枝豆のパンとおやき風みたいなのを買ったと思いますが、枝豆のパンはなかなかのお味でした。
 
 
 居心地がいいかと訊かれたら悪くないと答える、帰りたくないような気分とでもいえばいいのか、とにかくそんなモードになっていましてね。
 楽しくて仕方ないってほどでもないけど、放浪感は充分に味わっているし、自由だし、今の自分にはギリギリ限界いっぱい、やれる限りの頂点には違いありません。
 ですからそれなりに充実感を得て、生きている感もあって、それゆえに名残惜しさが心の何処かに漂っているようです。
 
 
 そんな気分を抱えつつも今後のことを考えると、とりあえず北に移動することになりそうです。
 ルートは飯山市〜新潟県に抜ける道で、このルートなら旅の始まりに諦めた、津南町のひまわり畑に行くことも可能です。
 早めに帰って仕事の前に一日休む、みたいな思考はこれっぽっちも浮かばずに、今日も出発となるのです。
 
 
 長野市の東側、国道18号線を南北に通るあたりをアップルラインというんだそうです。
 その北端らしき場所でたまたま信号に引っかかった時に、その看板を見つけて知ったので地元の人でないと知らない呼称かもしれません。
 
 走ってみると確かにリンゴ農園が多いようです。赤くなり始めたリンゴをたくさん実らせた木を、通りのあちこちで見かけることがありました。
 販売所も何件か見かけたので、立ち寄ってみようかかなり迷ったのですが、こういうところってバラ売りしてなかったりするでしょう。複数個買っちゃったらさすがに食べきれないし、もったいない。それにそもそも、買っても皮がむけないとかがあってね。
 
 その代わりといってはなんですけど、この旅の間にスイカは結構食べたと思います。
 長野産のカットスイカが夕方以降だとお安くなってるもので、どうかしたんじゃないかと思うくらいに、左手に持った買い物かごへシュート、という状況でして。
 甘くて美味くて、旅の間中ちょっとハマってしまいました。
 
 
 アップルラインを抜けて長野市の北側、中野市に着いたのが午後だったと思います。
 ここからもっと先へ進んでもいいなと思っていたのですが、位置も時間も中途半端というのもあって、中野市をぐるぐる回ってみたり、ちょっと買い物していたら夜になってしまいまして。
 今思えばただ単に帰るのが嫌だっただけなんでしょうが、結局早い時間に道の駅へなだれ込み、お惣菜をいただきつつラジオを聴きながら夜を明かすという結果になりました。
 

時間つぶしに城へ立ち寄る


 明けて7日目。おそらく一番暑いと思った朝。
 旅もいよいよ終わり。セミがそうだそうだと言わんばかりに鳴いています。
 
 夕ご飯に買って、食べきれなかった分を朝ごはんでいいやと残したよなと、車内をゴソゴソ漁るってみると、出てきたのは冷やし中華とアンパン。
 その並びっていう。朝から。
 ・・・ええ、食べますとも食べますとも。ええええ。
 
 冷やし中華のタレをかけて箸を入れると、容器に入った丸いまんま、ほぐれることなく持ち上がる麺にかぶりつきながら、今後のことを考えます。
 
 今日はめずらしく予定を立てています。
 
 例のひまわり畑に行こう!
 以上。
 
 もうね、緻密すぎて。予定が緻密すぎてさ。

 ただ、早く行ってもひまわり畑を見て終わりになる可能性大ですから、午後くらいに着けば御の字。必然的に途中で時間を潰さないと、早く着きすぎることになってしまいます。
 
 千曲川沿いを走る国道117号線沿いに何かないかしらと思って地図を見てみると、城山公園というところがあります。どうやら飯山城の跡地のようです。
 思えば、一瞬とはいえ上田市に行ったにもかかわらず、上田城は訪れておりません。時間調整が必要なんだし、通り沿いにあるんなら行ってもいいんじゃないの、と思い立ちます。
 
 念のため書いておきますが、別に歴史的な名所旧跡は嫌いじゃありません。観光名所も同様です。
 要は行く気になるかどうか、行く気になった時に行けるかどうかが、キーポイントなのです。
 
 さあ、道の駅を出発。いざお城見物ですよ。
 そうそう、飯山城の絵面はこちらでご覧ください。

 夏休み信越放浪記 青空と紫陽花と飯山城跡 - Time goes around


石垣撮り太郎

 
 飯山城跡地の公園に着いたのは9時前だったような気がします。
 ちょっと行き過ぎて慌てて脇道に入る感じで戻ったら、野球部の練習中と思われる学校のグラウンド脇にそれっぽい駐車場を見つけます。石垣がそびえていまして、そのすぐ横が駐車スペースです。
 
 車を停めると、球児たちの掛け声が聞こえる他は、のどかのひと言。うーんと伸びがひとつ、自然に出てしまいます。
 ふと見ると、ちょうど駐車したあたりに上りの階段があるのに気が付きましてね。
 ああ、ここが入り口かななんて思いつつ、城跡で公園というくらいだから中も広いんだろうと、事前にコンビニで買っておいたペットボトルをホルダーに入れて腰に装着。水分補給も万全の体制で階段を登っていきます。
 
 そこそこ急な階段をえっちらおっちら登っていくと、縦長の広場に出ましてね。見回すとなにやら新しそうな建物があります。近寄ってみると弓道場とのこと。
 お城跡に弓道場とは粋じゃないのと思いながら、いくつか写真を撮ります。青い青い空が植えられた木々の隙間から見える透き通るような朝。時間も早すぎるせいか、観光客の影すらありません。
 
 弓道場の脇には上り坂が見えます。
 行ってみると弓道場の裏手の広場、おそらくはテレビで見るような競技を行うあの広場が見下ろせるようになっていて、脇には古井戸があります。
 坂はさらに登っていて、ゆっくりとその坂を踏みしめていきます。
 
 坂の上はちょっと開けた空間に。中央がくぼんでいて、草むしりなどのお手入れをしている方々がいらっしゃいました。
 夏っぽい青空ですが、高台のせいか風も心地良いし暑さは感じません。持ってきた飲み物を飲みつつ、この旅で一番という勢いで写真を撮りまくって、またちょっと休んだりして。
 
 
 さらに上へ行けるようですから、こうなったら行く所まで行っちまいましょう。
 大きな木々が太陽から守ってくれるように枝葉を広げる中を歩いていくと、目の前に石垣がどーんと建っていました。往時の飯山城の面影を残す、もっとも目立ったものだと思います。
 石を切り出してここまで運んで、計算通りに積み上げて、それが数百年経った今でも残っている光景を目の当たりにすれば、テンションは嫌でも上がるってもんです。
 
 周辺を何度も写真に撮っては、呆然と眺めての繰り返し。阿呆面で石垣を接写しても誰もおりませんからいいようなものの、傍から見たらあれだよね、月刊石垣の取材かなっていう。撮り垣だよ。
 

 その石垣の周辺も、草の匂いと風の通る音がする広場になっていて、木陰にベンチでもあれば何時間でも座ってられそうな感じでした。
 そしてその石垣の向こうに行ける模様。そのまま導かれるように歩いた先が、どうやら最上部のようです。
 
 その、妙に音の抑えられたような気がする青と緑と石肌の空間に、ポツンと、でもその場を支配するような佇まいの神社がありました。
 完全な静寂ではない、セミの声も葉のこすれる音も離れた街の生活音もするのに、それがどこか遠くで聞こえているような不思議な感覚がしたのを覚えています。
 
 どんどん写真を撮ったあと、柄にもなくお参りしたりしてね。
 願い事も浮かばないし、そもそも不作法者ですからお参りの仕方も知らないのですが、ただ手を合わせて目を瞑って心を空っぽにするくらいしかできませんでしたが。
 
 
 ちょっと前からそんな気がしていたんですが、あの駐車場の階段から登ってきたんですけど、これって裏口から入ってるよ、ね…

 鳥居のある階段を降りると、下り坂がゆるいカーブを描きながら続いていて、遊具のある公園から武道場やトイレがある一帯。その横を見ると復元した門があって、さらに下ると駐車場に着きました。

 やっぱりね。ですよね。
 本来、ここからスタートするべきだったんですね。
 

まだ10時半


 スマホのバッテリーが無くなりそうだったので、モバイルバッテリーを車から取ってきて、あらためて正面玄関からお邪魔します。
 
 復元された門に書かれている、この城跡が整備されていく経緯を読むと、色々な事を考えます。
 飯山城は幕末頃まで機能していたようなんですが、幕末から明治の動乱の時期に遺棄されることになるようです。

 今の時代から思えば、歴史的な建造物を遺棄するなんてあり得ないというのが普通の感想ですが、当時からすればまた違った思いがあったんだろうなと。
 今でさえ、昭和の面影のある建物はどんどん無くなっていきますし、耐震性なんかも考えると残しておくことも難しいわけです。

 古い建造物に価値を認めて残しておくことも必然なら、それほど価値があるまいとされるものは淘汰されるのも必然でね。
 ですから、当時の人々が愚かだったのかどうかは、十把一絡げに語ることはできないなと思うのです。
 
 
 門を抜けると弓道場のあるあの広場。これにて飯山城跡はひとしきり見て回ることができました。
 時刻はまだ午前10時半。旅が終わるにはまだ早い時刻ですよ。

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