四年間に渡って自分の記録を収集し続けてみて、あらためてライフログついて、今の自分なりに考えてみたいと思います。
始まりはサービス連携
四年間綴り続けた文字数の推移 |
元々のきっかけは、当時からポツポツ使ってはいたもののイマイチ使いこなせていなかった、EvernoteやTwitterなどのサービスを使ってなにか面白いことができないかと考えていた事でした。
ネットで調べていた時にIFTTTというサービスを知り、バラバラで使っていたEvernoteやTwitterといったサービス同士を連携させる事が可能だと知ったんですね。
ツイートしたらその内容がIFTTTを経由してEvernoteに書き込まれるみたいな。
これはかなり可能性を秘めたモノなんじゃないか、と思ったんですね。
そして、一番面白そうな使い方がライフログだった、というのがスタートだったと思います。
バラバラに使っていたサービスたちが一ヶ所に集まっていく
Evernoteは当時からアカウントは持っていたものの、使い道を思いつかないモノでした。
メモアプリという認識ですから、チョイチョイ思いつくものをメモしてみたものの、日常的に使うようなものでもないな、という感じでね。
Evernoteに限りませんが、要はツールですからね。
釣りに行かないのに、いい釣り竿を持っているようなもので、便利な道具を持っていても持ち腐れというやつだったのです。
Twitterにしても同様で、つぶやく目的もないし、つぶやいたけどだからどうしたといった感覚が、どこかにありました。
これらのサービスがIFTTTによってほぼ自動的に連携する、そしてそれをライフログに利用してみるという試みは、自分の中である種革命的な事でした。
自分に起こった出来事を記録する、ライフログという目的が生まれる事でEvernoteに記録を保存しておく役割が与えられ、Twitterに投稿することに対しては日々の記録のためという意味を得たのです。
他にもFoursquareのチェックインや、日々のタスク管理、天気予報とかニュースのような毎日毎日見たり行っていることが、Evernoteのライフログノートという場にどんどん集められていき、私という人間が過ごした一日として形作られていく面白さ。
これにハマっていったというわけです。
最近ではEvernoteのノートにサクッと追記できるアプリを導入して、より記録しやすくなっています。
旅もまた人生そのもの |
言葉にする意味
身に着けるものが進化し、スマートフォンや活動量計などの機能を持ったウェアラブルデバイスが浸透したことで、古くは日記という形式だった自分の記録が、ライフログという名前を得てなおかつ様々な形式で記録するモノになりました。
スマホのカメラによって写真や動画を手軽に残せますし、歩数や心拍数などの身体的な物事も記録できます。位置情報からその日その時どこにいたのかもわかっちゃいます。
すごい時代になりましたよね。
でも、まだ日記時代と同じ部分もあります。それが、心の動きを残す事です。
自分の内面的な要素。感じた事や考えた事は、今のところ喋るか書くあるいは描くという方法でしかアウトプットできません。
音楽にしたり絵にしたりってのもアウトプットでしょうが、一般的には言葉にするのが手っ取り早いはずです。
個人的にライフログを残す事に意味があるとすれば、自分の気持ちが表れるという部分なんだと思っています。
人生をアウトプットする
言葉にすることはアウトプットですから、言い換えれば「心」という単純構造ではないもの、形のないぐちゃぐちゃっとしたものに、形を与える行為です。
もしかしたら想いのすべてを表現しきれていないかもしれないけれども、それどころか間違っているかもしれないけれども、何かしらの形を持たせる行為なのです。
つまり、言葉になることで気持ちが形を持ち、心のぐちゃぐちゃが多少なりとも整理される、あるいは土台を得る効果があるのです。
花が咲いてる、なんていう花だろう、きれいだ、いつ咲いたんだろう、いつまで咲いているんだろう・・・ みたいな自分の中の気持ちの動きは、写真一枚では伝わらない、あるいは残しておけないと思うのです。
その時どう心が動いたかは、異なる場所でその時の写真を見て、追憶のように再現されることはあっても、すべてがそうなるとは限らないわけです。
それを言葉でアウトプットするから、数年後に読み直しても、もしかしたら死後に誰かの目に止まったとしても、その時の自分の気持ちが理解できる「かもしれない」。
それがやっぱり、ライフログを言葉をベースにして記録している意味だと思っています。自分の体験を、大げさにいえば人生を出力して残しておくには、言葉にするのが現時点では一番ベストなのかなと。
そして、挿絵的に撮った写真たちがいろどっていくような構成が、ライフログとしてはいいんじゃないかと思っています。
グーグルフォトもライフログのキーサービスになりつつある |
続けられる仕組み作り
しかしながら、どんなにライフログに対して意義を感じても、続けられないようなモノだったらダメだと思うのです。
夏休みに日記を書けと言われても100%三日坊主で終わる私が、ライフログを四年も続けられているのは、半自動的に日常がEvernoteという場所に蓄積される、というのがデカいんですよね。
今の形態のライフログをやめて、紙のノートを用意して四年続けて日記を書こうと思ったら、まず無理です。
現状は、スマホとツイートしたり写真を撮るほんの僅かな時間があれば、今の自分の気持ちや目の前の出来事を記録する事が可能なのです。
同じ事を紙のノートでやろうとしたら、筆記用具とともに常に持ち歩き、雨が降ろうが食事中だろうが歩道で信号が変わるのを待ってようが、ノートにメモしていくような感じでしょう。
これって、結構大変ですよね。
昔の日記と現代のライフログが決定的に異なるのは、自動的にかつごく自然に情報が集まる仕組み作りにあるのではないでしょうか。
既存のライフログサービスにはない楽しさ
ライフログというものを、パッケージとして提供しているサービスも数多くあります。アプリをインストールしたスマホを持ち歩いているだけでいい、というようなサービスまであるようですね。
ですが、それにはほとんど興味がわきません。
既存のパッケージされたライフログサービスを使わない理由は、カスタマイズ感が楽しいからです。
何を記録するか、どう記録するか、どのサービスを使うかなどなど、自分で考えて好みに合わせていく。これですよね。
要はここまでに書いてきたような、IFTTTなどを使ったライフログを自動収集する仕組み作りそのものが楽しいのです。
IFTTTは使い方に少々コツはありますが、そこを越えてしまえば、ある程度は自分の好きなように作りこむ事ができます。
単純にはできなくても、やりたい事を実現するために色々勉強したり工夫すると、できちゃう事もあります。
このライフログの環境作りや整備が、やたらと楽しいんですよね。
ですから、パッケージされたライフログサービスには、今のところは利用することを考えていません。いいところは取り入れたいと思っているので、概要を調べたりするくらいですかね。
四年前から明日へ
四年間で150万文字以上を使って自分と自分の周辺を記録してきました。
私はひと月でEvernoteのノートひとつを使うようにしています。
Evernoteには、ノートの文字数や単語数を知る機能があり、それを元にして月毎の文字数を抜き出してグラフにしたのが冒頭の画像であり、150万文字という数字の元になったものです。
ムラがありますが、少ない月で2万文字以下、多いと5万文字くらいになっています。月あたり平均で約3万2千文字くらいですね。
天気予報やニュースなど、引用しているものもありますから完全に自分が入力した文字だけではありませんが、かなりの割合で自分の言葉を用いてその時の気持ちとか、何処に行って何をやったかが綴られています。
今のやり方が、唯一の正解ではありません。
スタイルが固まるまでにかなりの月日を要しましたし、今後も試行錯誤は続くでしょう。
五年目はどんな事が起こって、何が書き残されるやら、まったく見当もつきません。