入り口の戸の半分以上隠れるような、ちょっとくたびれた暖簾。すりガラスで中の様子はうかがえないし、メニューの類も確認できない。
駐車場があればいいほう、仮にあったとしても5台もないような。
いつかの小さな旅で出会った、そんな食堂のお話。
入りにくい食堂の店先で
玄関先にはスクーターか自転車が停まってて、大相撲中継のテレビかラジオの音声がかろうじて聞こえてくるから、やってるのは多分間違いない。
でもちょっと、ガラガラっと戸を開けるのに勇気がいる。
思い切って玄関の引き戸を開けると、常連のオッサンたちがジロっと見てきたりして、無愛想な店主が「こんな変な時間に来やがって」みたいな顔をしてたりして…
そんなことを考えると、なんかちょっと敷居が高いなと感じるというか。町の食堂ってそんなイメージがあるのです。
ある正月明けの町を歩き出す
何年か前の、正月が明けて少し経った頃だったと記憶しています。
その日は徒歩で、初めて訪れたある駅の周辺を散策していました。
や、散策なんていうのはちょっと盛った表現で、要するに迷子です迷子。
別になんのアテもなく、それほど土地勘のないエリアの、たまたま通りがかった駅近くに、ただで駐車していいような町営の駐車場があったものでね。
冬らしさを感じないご陽気だし、ひとつ歩いてみるかと。
それもちょっと正確じゃないか。
完全にアテがなかったわけじゃありません。その周辺に一度行ってみようと思ってた、昔ながらの食堂があるはずなんです。
行ってみたくなった食堂
行ってみたい場所を地図上にマーキングしてまして。その食堂もそんな場所のひとつとして、地図上に記してありました。
ここまで来たし、せっかくだからその食堂に行ってみようかという気になったんですね。
そのマーキングと現在地を見比べてみると、ちょうど車を停めた場所からは駅をまたいで逆の降り口側になる格好。
駅の中を通り抜けるよりも、今の位置から踏切らしき所を越えてぐるっと回ったほうが良さそうに見えたので、スマホの地図を一旦閉じて歩き始めます。
こういうパンフレットが置いてあると街歩きもちょっと楽しい |
地図で当たりをつけた通りに出るまでテクテクと歩いていると、正月感がまだ抜けきらない休日の午後ということもあるせいか、ローカル線の駅周辺なんて車通りもまばらでね。
駅前あたりならいざ知らず、そこからどんどん離れていっているもんですから、誰も通りゃしない。
せいぜい猫と、カラスと、せがまれて散歩に出てるお父ちゃんと犬くらいなもんで。
暦のせいか妙にシーンとした住宅地を、自分の足音だけが鳴っては耳の奥に消えていくのは、どうにも不思議な気持ちになるもんです。
踏切を渡って、駅を大きく迂回するように歩き続けます。そろそろ道の覚えがあやふやですから、スマホを取り出して位置を確認してみると、あと15分も歩けば目的の食堂に着くはずです。
いい匂いが漂う路地
どこかのサイトで、例の昔ながらの食堂のことを目にしたのはいつだったか、もうちょっと記憶にないんですがね。
ネットに書いてある話を見る限り、なんだか良さそうな店じゃないかと思ったんです。古き良き、という感じがしたいい気配のする場所じゃないかなと。
美味そうというのもあるし、店内の雰囲気みたいなものもあるし、何に惹かれたのかは正直言って覚えちゃおりませんけども。
こんなちょっとした路地の掲示も今は少なくなったような |
知らない町を地図だけを頼りに歩いていると、こんなところにも人が居て、当たり前のように家が建っていて生活しているっていうのが信じられなくなります。
私という小さな短い歴史に、これまで一度も登場しなかった町の通りを歩いて、初めて見かける、多分もう二度とすれ違うことのない人と交差する事に、ただただ打ちのめされそうな気にすらなるのです。
雪囲いが、まるで牢屋の鉄格子に見えるような、大きな木のある家を過ぎて、やがて食堂があるはずの通りへ差し掛かりました。
何かいい匂いがします。
シチューみたいな濃厚な感じのするいい匂い。人によって違うはずなのに、誰に訊ねても懐かしい匂いだと言いそうな、そんな匂い。
例の食堂は近いんじゃないかと、期待感みたいなものが胸の底というか腹の底からにじみ出てきます。
あの食堂に辿り着けない
ですが、地図上でマーキングした地点に着いても、家があるだけで食堂は見当たりません。ネットでは看板の写真が掲載されていたのでそれを目指しているのですが、それも見当たらない。
自分のマーキングが間違ってるって事もありえますから、周辺をうろうろしたり通り過ぎてみたりしても、それらしいお店はありません。
もう一度マーキングしたあたりへ戻ってみると、やっぱりシチューの匂いがして、どうにもお腹も減ってきたしどうしたもんかと思いましてね。
気になってマーキングしていた家の造りをよくよく見ると、入り口がすりガラスの引き戸ですし、玄関の真上に暖簾を掛けられそうなフックが付いていたりします。
ここ。
ここなんじゃないか。
もしかしたら定休日か、あるいは営業時間外なのかもしれない。
でも、ネットで見た写真のお店の看板は、どこにもありません。周りを少し歩いてみても、細い路地に入ってもそれらしい場所はやっぱりここだけなんです。
そして、ちょっと懐かしい感じのするシチューの匂いがするのも、ここしかないと思うんです。
これって、もう廃業してるってこと、だよね・・・?
食堂を辞めた元店主のおじさんが、かつてはこの辺に住んでいる人達の胃を満たし続けてきた料理を、固く閉ざされた引き戸の向こうで、多分自分のために作っているんじゃないか。
そしてあまりに美味しそうな匂いのするそれを、自分はもう食べられないんじゃないか。
そう思い当たったら、どうにもやるせない気持ちになってきましてね。もと来た道を、日の落ちていく道程を引き返す足取りの重さは、似合わない冬靴のせいではないと思うんです。
通り過ぎることしかできない旅路
別に思い入れはないんですよ。
この食堂らしき場所はおろか、この町すら今日初めて来たんですから。
この町のどこかに大勢いるはずの、ずっと常連客だった人が感じたであろう想いに比べたら、薄く浅いもんでしょう。
でもね、廃業せざるを得なかった理由とか、それでも料理の腕はきっと衰えちゃいないんだってこととかが、帰路の間ずっと頭の中でぐるぐると巡り続けていたんです。
なぜかすぐに帰る気になれなくて、暗くなった駅の周辺をただただただ歩き続けていたような覚えがあります。
まだ春が遠い日の話です。