無事に正月休みが確保できそうだというのが確実になったのが、年の瀬も押し迫った12月の末。クリスマスも終わって、正月ムードが盛り上がりつつあったころじゃないかと思います。
その時の旅のことを不意に思い出したので、今回はそのお話を。
年末ギリギリになって宿を探しはじめる
当時は業務内容的にも職種的にも、日々の業務量が流動的でしてね。年末が忙しかったこともあり、仕事納めはこの日までというカレンダーは存在したものの、なにかトラブルがあれば出勤せざるを得ない立場でもありました。
そんな感じで色々ヘトヘトな日々でしたから、リフレッシュするには自宅に引きこもって寝正月で終わらせるよりも、どこか旅に出てしまおうということになり、年末も年末な時期でしたが予約できるホテルを探してみようと思い立ったのです。
この時点で、いつもの車での旅はしたくなかったんですよね。冬場は運転にも気を使うし、帰省渋滞にも引っかかる可能性が高くなりますから。
移動にエネルギーを使いたくないと思っていたのをハッキリ覚えておりますから、いま思えば相当疲れ切ってたのは間違いありません。ここもちょっと苦い話ですかね。
行き先はレッドウイング
自家用車ではなく公共交通機関を利用するとしても、行きも帰りも利用者の多いであろう日にダイレクトに引っかかるわけで。それはそれでガッツリ疲れてしまうのは目に見えています。
それなら帰省で起こる人の動きと逆方向、要は東京都へ行くのはどうだろう。
別に東京で特別にあれがしたいここに行きたいというのはなかったのですが、地方都市に比べたら営業してる店もあるだろうし、見て回れる場所もあるだろう。
何より積雪で動きにくい地域にいるよりは色々と行動しやすいんじゃなかろうか、と考えたんですね。
加えて今の体調を考慮すると、ネットカフェやカプセルホテルでの宿泊がちょっとキツい。そうなると夜はちゃんと眠れる場所がいいという思考も働いて、その日のうちにネットで予約できそうなホテルを調べ始めたという感じです。
年末年始の押し迫った時期に、果たして部屋が空いているかどうかは定かでは無かったものの、東京方面ならどこでもいいわけですからそういう意味での条件はゆるめ。
実際に予約サイトを見ていくと、まったく空きがないというわけじゃありませんでね。
あとは部屋の設備と値段を見て、バランスの良さそうなホテルを選びました。
で、白羽の矢を立てたのが赤羽駅前にある「ミッドイン赤羽」でした。
赤羽なら近所に飯屋も飲み屋もあるだろうし、あちこち徘徊しても面白そうじゃないか。これは案外いい場所にホテルが見つかったんじゃないの? なんて思ったものです。ここもぜんぜん苦くありません。
記憶の助けになりそうなものは
当時はまだスマホで写真を撮るということが自分の中で習慣として根付いてなくてね。
もともと写真自体が、撮るのも撮られるのもそれほど好きではなかったんですよね。スマホで写真を撮るようになった今でも、撮られるのは好きじゃありませんし、人間を撮るのは嫌です。
生き残っている写真は12年の12月に撮影したものが1枚、翌年1月も数枚という感じで、全体的に見ても明らかにこの前後数ヶ月は写真を撮っていません。
そんな状況ですから、ホテルの外観はおろか室内の写真もなく、記憶で書いております。
唯一残っていたのがこの写真。ホテルの部屋の窓からずっと遠くに富士山が見えました。
他に当時の記憶を呼び起こすような手がかりはないかと探してみたら、ホテルの予約メールが残っていました。
それによると、12年の12月27日 木曜日に予約をして、チェックインが30日 日曜日の17時。チェックアウトは13年の1月3日となっています。
よくもまあ、こんな直前予約のしかも連泊で都内駅前のホテルが空いてたもんだと思うのですが、実際に空いてたんだから仕方がありません。
料金は素泊まり、かつ予約サイトのポイントを利用して4泊5日で2万5千円ほどでした。
結構いいホテルで、ちょっとオシャレな雰囲気だった気がします。室内もきれいだったしベッドもセミダブルサイズと、ひとりで泊まるにはむしろ贅沢なんじゃないかという印象でした。
話は前後しますが、この4泊5日をどういうふうに行動したのかは、他には残されていませんでした。
今ならグーグルマップが位置情報を記録しているので、後になってから自分の行動を追跡するのも容易いのですが、当時はガラケーからスマホに変えてはいたものの、まだサービス開始前だったのか設定していなかったのか情報がありません。
12月30日 日曜日
おそらく、30日の夕方チェックインというふうに予約しているので、前日あるいは当日の午前中まで仕事があったんだと思います。
30日の昼間、何をしていたかは一切記憶にないのですが、ともかく公共交通機関を乗り継いで赤羽駅に到着したあとは、早速飲みに出かけました。
こちとら日々のお仕事で摩耗しきってますから、羽根を伸ばして栄養剤を大量に摂取しないとやってられないというか、まあそんな気分だったのです。
結局、ひとりでふらっと入れそうな近場の居酒屋を何軒か回って、そこはかとなく気勢をあげた覚えがあります。
赤羽に行ったのはこの時が初めてだったかもしれません。昼間っから飲める素敵な街というイメージですし、周辺の雰囲気も嫌いじゃありません。
書いてて思い出したのは、ハムカツが美味しかった店があったことくらいで正直それほど記憶がありませんが、逆に言えば記憶に残るような悪い出来事も一切ないということですから、ここまでは全然苦くないのです。
どうも様子がおかしい
翌朝。大晦日。
ホテルには連泊するし正月だしということで、お掃除は不要ですと伝えてあるので起こされることはありませんでした。
多分夕方ころになってからもそもそと起き出して、飲んで飯食ってテレビでも見てたのか…
おそらくそんな感じだったと思います。
その時にはすでにちょっと違和感があったようなないような…
年が明けて。目が覚めて。
どうも様子がおかしい。
ベッドから起きられません。
冬場の「ぬくぬくお布団から起きられない」みたいなことではなく。
身体が重い。脳が熱い。地球の自転が早いのか実は回転ベッドだったのか、天井が回る。
…もしかして、風邪ひいた?
もう即座にその考えを打ち消します。
病は気からと言いますがね、そう思ったら気がついたらダメなんです。熱とか計っちゃいけません。38みたいな表示を目にしたら最後、そこからどんどん自分が追い込まれていきますから。
でも現実に起きられない。
起きられないどころか喉が痛い。関節も痛い。目の奥が落ちくぼむように痛い。視界が回る。
ここで? ここで具合悪くなるの?
苦い経験
さいわい当時から、旅先には薬を持っていくようにしていました。何があるかわかりませんからね。
それを思い出したんです。当時持っていた旅に出る時に使うカバンに確か入れっぱなしにしておいたはずだよなと。
近くに置いておいたカバンを引っ張ってきて、半ば朦朧としながらもガサゴソと中を探ってみたら…
あるよ! なんか粉薬が入ってるよ!
どうですか、この用意周到さ。
こんなこともあろうかと、ってやつですよ。自分で自分によくやったと。
で、この薬がやたら苦い。
苦いってもんじゃなくて、今でも強烈に印象に残ってるくらいで。薬のメーカーも覚えちゃおりませんが、苦味が舌でずーっと残るような感じ。
市販の薬だったと思いますが、その苦味が当時の体調のせいなのか、カバンに入れっぱなしにしていたせいで消費期限が切れていたのか、今となっては知る由もありませんけども。
もう、本当に苦くてね…
そこからチェックアウトの3日の朝まで引きこもり。引きこもらざるを得ません。だって動けないんだもの。
こういう時の情けなさ、何をやってるんだろうという感じは、もう想像以上の勢いで自分を打ちのめすわけで。
おまけに意識もぐんわりとなっちゃってますから、精神的にも弱ってるわけです。
お酒とは言わない、ハムカツが恋しい。
ハムカツ食べると治るんじゃね?
少なくともあの苦い薬よりは効くんじゃないのという、謎な結論が出るところまで追い詰められるんですよ。
意を決して、ハムカツハムカツとつぶやきながら外へ出たものの、正月の東京の外気温以上に体感的な寒けがものすごくて、這うように近くのコンビニまで辿り着いたのが一度っきり。
チェックアウトの時点では、どうにかノロノロと起き上がることができるまでには回復していたのですが、家じゃないのに強制寝正月という、ゲッソリするようなひどい旅でした。
あの時は多分、今まで経験した中でもっとも苦い正月だったというのを、7年も経った今になって思い出したというお話でした。