歴史の里会館を見終えましたし、次は道路を挟んで目の前にある居多神社へ向かおうかというところ。あいも変わらず計画性皆無な散歩のお話。
居多神社
どちらが先かわかりませんが、居多ヶ浜という名がついた海岸があるように、この神社にも居多という名がついています。
現在の町名としては、「居多」というのは居多神社がある位置からは少し外れているようですが、昔はこの一帯をそう呼んだのかもしれませんね。
歴史の里会館の駐車場には、このあたりに伝わっている親鸞聖人についての伝承にまつわる看板があります。
また、道路を渡って居多神社側に行くと、さらにいくつかの看板が見えます。越後七不思議というものがあるようで、その一番目について書かれたものでした。
石段を上って居多神社の境内へ向かいます。
神社特有の厳かに感じる空気が秋の落ちかけた陽光の下に充ちているだけの、しんとした空間です。
そこに親子連れでお参りに来ている人影が見えました。まだ小さなお子さんとお母さんという感じです。あちらもお散歩中なのか、それともなにか神社にお願いに来たのか、知る由もありません。
居多大明神と掲げられた本堂と、雁田神社という良縁や子宝の神様を祀る神社がありました。こちらでも親鸞聖人の像があり、この地域との関係性の深さを感じます。
私は不信心ですし不調法ですので、神社へ行ってもお参りをしないことの方が多いのですが、その代わりに境内の中を色々と見て回ります。
この日も居多神社の中をひとしきりウロウロして、迷惑にならない程度に写真を撮ったりしてね。その後、鳥居をくぐって歴史の里会館のある道路へと戻りました。
蓮池公園
歴史の里会館の隣は蓮池公園という小さな公園があります。その名の通り、隣接して大きな池というか小さな湖というか、とにかくそういったものがいくつかあり、その間を道が通っています。
蓮の季節ではありませんでしたが、天気がいいこともあって静かな水面に周囲の木々が映ってきれいでした。場所によっては鳥たちが集まっていたりして、なかなかいい雰囲気です。
その池に沿うように続く道を歩いていくと、車を停めておいたスタート地点の五智公園に戻ってくるはずなのですが、途中に意味ありげな上りの階段と、こんな看板を見つけてしまいましてね。
…神社、またあったね。
白山神社への石段で立ち止まる
スルーしてもいいんですよ。特に神社仏閣を巡りたくて歩いてるわけじゃないんですから。
でも、ちょっと気になるじゃないですか。せっかくこのあたりを歩いて見て回っているわけです。私のことですから、もしかしたら二度と気が向くこともなく、ここにはもう来ないかもしれないんです。
行くか。行くのか。行くんだ… そうなんだ…
心のどこかで自分に文句を言いながら石段を登り始めたのです。
これが罠でね。
石段はもう落ち葉でいっぱいになっていて、ズルズル滑るんですよ。おまけにさっきの居多神社のように、ちょっと登れば境内につくんだろうと思ってたら、途中からこんな景色になってましてね。
なんかこう、どう見ても長そうな階段が続いているような。
そりゃあもっと長い石段なんていくらでもあるでしょうよ。でももうそろそろ、3時間近く歩いてますから。
あの、今日は腹が減ってるからって調子に乗って、チャーシュー麺大盛りチャーハンセットにプラスして餃子2人前とか頼んじゃってね。
けどそこまで食えねぇなって。あと餃子を2個、無理矢理口に放り込むのもキツいって時に、入ったばかりっぽいバイトのかわいいお嬢さんが、チャーハンセットの杏仁豆腐を忘れてましたって申し訳なさそうに持ってきた時のことを想像していただきたい。
後で調べたら100段くらいの石段らしいんですけどね、たかが杏仁豆腐でも口に入らないのと一緒だから。
日常で100段の階段なんて上ることある? しかも落ち葉で埋もれた、形だってきれいに整ってるわけじゃない、神社に通じてるような石段。
行きますよ。なんたって途中だし。ここまで来て帰りますってのはないでしょうよ。
で、ゆっくり歩きはじめるんですけどね。さっきから足も痛くなってきたし、何よりつらい。上りがつらい。太ももが嫌がってる感じ。
心に旅を
さっきまでは多少、心のなかでブツブツ文句を言ってましたけど、この時はおそらく口から出てたと思います。
それでもこの世の果てまで来たみたいな表情で、滑らないように細心の注意を払いながら最後の石段を上がり切ることに成功。
するとこんな光景が広がっていました。
これが白山神社かしら。他に道はありませんから、そうに違いありません。
いや、他に道自体はあったのですが、それについては今はちょっと置いておきましょう。
ここは海抜47.5メートルなんだそうです。
なるほどと。そして思うことはひとつ。
…確か一時間ほど前、海にいたよね?
あれは嘘じゃないよね。幻覚じゃないよね。紆余曲折右往左往して47.5メートル歩いて上ってきたってことでいいよね。いいんだよね。
これから47.5メートル歩いて上りますけど一緒に来ます? って言われたら、間違いなく拒否しますよ。100パー拒否します。
もっと言うと何メートルか知りませんけど、一旦展望台に上ってからの海へ降りてからの47.5メートル上りですから。
アスリートなの? もしくは苦行なの?
そして、このポスター。
心に旅を。
これか。これを見せたいがために、見えない誰か、神様かな? 神様なのかな? 神様が散歩せよと言ったのかな?
家でこたつと同化してみかん食いながらうつろな目でネット見てゴロゴロしてないで、散歩に出よと。そういうことだったのかな?
そう思う、あるいはそう思い込まないとやってられないくらいには、足がパンパンですし汗だくになって歩き続けてるもんですから。ランナーズ・ハイならぬサンポーズ・ハイになってますから。
そりゃ神の声も聴こえてくるってもんでね。
でも辿り着いた白山神社は、使われている木の古い感じといいその佇まいといい、なかなかいい雰囲気の神社で。これがまたいいんですよ。
居多神社に比べたら小さいものの、また違った厳かさのある場所でした。
鳥居も昭和三年に建てられたものらしく、つまり90年前のものということ。これもまた凄みを感じます。
下り道で立ち止まる
神社の前でちょっと休憩を入れてから、さて帰ろうかという段になって、ああそうかと思わされることがありました。落ち葉の降り積もったあの長い石段。
上りでさえ滑りやすかったのに、下りはなおさら危なっかしいということに、今さら気がつきまして。
そこからはもう、一段一段踏みしめつつゆっくりと降りていきます。
ここで滑って転んで頭でも打ったら、間違いなく冬が来て雪に埋もれて、初詣に来た近所のかたに変わった形の雪だるまとして発見されるまで、おそらく誰にも気がつかれないでしょうからね。
ゆっくり、マジゆっくり。
どうにかこうにか長い石段を降りたところで、大きく息をつきます。緊張しながら無事降りきったこともあって、ここでちょっと立ち止まりました。
実は白山神社への階段を上る前にも、ここで一度立ち止まっていたのです。
分かれ道があるんです。先ほど書いた、他に道があるにはあったというのが、ここのことです。
いいんですよ。このまま降りていけば車の置いてある五智公園に戻れるんです。寄らなくていいんです。分かれ道のすべてを見て歩く必要はないんです。ロールプレイングゲームで新しい町に来た時みたいに、行けるところは全部行くみたいなのはやらなくていいんです。
でも、もう来ないかもしれない。
さすがにあの階段は今後もう上らないでしょう。そうなったら、この分かれ道がどこにつながっているのか、気になって気になって仕方がないってことになるんです。きっと。
なんなのこの性格。このルール。
足を引きずるように分かれ道の方へ歩いていきます。
まさかまた上りの階段があるんじゃないか、実はさっきの白山神社は白山神社ではなく、奥の院的ななにかがこの先に、それももっと山奥にひっそり立っていやしないか。
そんな思いはすぐに打ち消されました。すぐに開けた場所に出まして、先ほどとは別の神社があったのです。
愛宕神社
こちらは愛宕神社というようです。全体的な造りは先ほどの白山神社に似ていますが、こちらのほうが精巧な装飾がなされています。美しいですね。
そして愛宕神社からは正規の入口と思われる鳥居が見えて、そこから急な階段がどうやら外へと続いている模様。
またかよと思いつつ、おっかなびっくり石段を降りた先は、蓮池公園隣の大きな池のほとりにある道に通じていました。
振り返れば杉の木でしょうか、まっすぐ天へと伸びた林の中に石段が見えてましてね。この景色がとても気に入ったのを覚えています。
それからもうしばらくダラダラと歩いてスタート地点の五智公園に帰還。つかれた。もう無理だって。
リベンジ… だと?
ようやく、本当にもうようやく我が愛車のもとに辿り着き、もはや修行感すらあった散歩から開放されて、シートに倒れ込むように身体を投げ出します。
そのままひと息ついてから、車を出そうとグーグルマップを立ち上げて気がついたんですけどね。
先ほど通ってきた蓮池公園の池のあるあのあたりの近くに、三重塔ってやつがあるみたいなんですよ。
…気になるよね?
そりゃあ気になるよね。でももう無理。今日は無理。明日だって無理。ヘトヘトなんですよ。歩きたくないの。
また来なくちゃいけないってこと、だよね。三重塔、気になるもんね。せっかくだから。冬が来たらここらへんを歩くのは無理だから。
なんなのこのルール。この性格。
そんなわけで後日、どこの誰にも敗北していないのに謎のリベンジを誓いながら、心の旅を一旦終えたのです。