今から15年前の平成16年2月に福島県を旅したお話。今とはやはり、色々と事情が異なっております。
発掘されたノート
少し前に引っ越しした際に色々整理をしていたら、大昔のノートが出てきましてね。その中に、旅の合間にちょこちょこと手書きでメモしたものを見つけました。
その時は引っ越し優先でしたから、懐かしいなぁとちょっと読み始めたもののふと我に返りましてね。とりあえずノートを写真に撮っておき原本は捨てて、撮った写真はEvernoteに突っ込んでおいて保存したら、そこで一旦忘れることにしたのです。
それを最近になって、そういえばそんなのもあったなと思い出しまして。そのメモをまとめるついでに、ブログに書いてしまおうというわけです。
2004年(平成16年)2月18日 水曜日
メモを読んでみると、その日の午後から出発したようです。
この旅は「ふたり旅」。今じゃひとり旅オンリーで、誰かと出かけるといったことはほぼありません。
古い付き合いの友人と、諸々ちょうどタイミングが合うということになり、じゃあたまにはどこかへ出かけてみようか。そんなノリで決まった旅だったと記憶しています。
向かった先の福島という場所も、特に意味があったわけじゃありません。お互いに行ったことがない土地ということで、なんとなくそこに決めたというだけです。
宿も取らず健康ランドなんかで泊まればいいやとか、そのへんは今にも通じるノープランな感じで旅が始まります。
いきなりアクシデント
どこからどういうルートで走ったか、高速だったか下道を走ったのかすら忘れてしまいましたが、会津方面を目指していたのは確かです。聞き慣れない地方のAMラジオ局に周波数を合わせて、どこに行こうか何をしようかみたいな会話をしていた気がします。
運転は私、車を出したのも私でした。
確か信号待ちか何かだったと思いますが、もしかしたら走行中だったかもしれません。記憶にあるのはとにかくダンプカーが前から来てすれ違ったことです。
その時にガツッ! という、けっこうな音がしたんですよね。車に何か当たったのは間違いありません。
なんだろうなと思いつつ、ふとフロントガラスを見ると飛び石でキズが入ってるじゃありませんか。
…なにそれ。
道路に小石が落ちてることは普通にあるでしょう。それが走行中のタイヤにいい角度で踏まれて飛ぶことだってあるでしょう。
万が一、自分の乗ってる車にその飛んだ石が当たることもなくはないよね。フロントガラスに当たる可能性も、そりゃあ面積のでかい部分ですからゼロじゃないでしょうよ。
でも今日じゃなくてよくね?
旅のド頭ですよ。これから楽しい旅が始まるんだって時に、確率からいえば相当薄いであろう飛び石がフロントガラスに当たるって、なにそれ?
幸い、走行に支障があるような大きさや位置じゃなかったので、旅はそのまま続行することにしましたけど、車内の空気は一気にズンと重くなりまして。
時代を感じるガソリン代
気を取り直しつつ会津若松市に入ったのが、もう日も暮れたころだったと思います。どこで何をして何を食べたかなどなどは、キレイサッパリ忘れていますが、メモには旅の費用がザックリ残っていましたので、そのまま書き写してみようと思います。
・食費 1,109
・ガソリン代 1,134(ちなみに会津市内は1L/101円。高っ!)
・健康ランド宿泊 1,960
・健康ランドのゲーセン 1,000
特筆すべきはガソリン代ですかね。
リッター101円で「高っ!」とか書いてますね、私。当時はレギュラーガソリンの価格が、1Lあたり100円を割っていたんじゃないかと思います。
今の、平成も終わる2019年3月末の価格が、ネットで見るとだいたい130円台後半から140円台前半といった感じのようです。
15年前の2004年、平成16年から比べると大きく違いますよね。
どうでもいいことですが、運転はすべて私が担当したはずですが、ガソリン代は同乗者と割り勘にしています。メモに書いてあるのはおそらく自分の出したぶんだけでしょう。
2004年(平成16年)2月19日 木曜日
福島県の旅、二日目です。
いきなりなんですけども、メモにはたいしたことが書いてありませんでね。
当時は携帯電話にカメラが標準装備されるようになってきたころだった気がします。私がカメラ付き携帯電話を買ったのが、前年の2003年、平成15年でした。
今なら旅の記録として、手軽に写真を残せるのですが、当時少なくとも私はそういった習慣がなく、写真を撮ることも少なかったんですよね。
その携帯電話、N505iで撮ったこの旅の写真が何枚か残っているのですが、ウィキペディアによるとその携帯のカメラの画素数は31万画素。さすがに絵が荒すぎて、ここに載せられたもんじゃありません。
今じゃスマホに2000万画素のカメラが乗っているわけで、15年の月日をここでも感じますよね。
話がそれましたが、その写真からするとおそらく会津市内を離れて、猪苗代湖へ行っているようです。その近辺で「ジャンボ海老フライ」みたいな、確か千円以上するようなやつだったと思うのですが、その場のノリで注文して食べたようです。
白鳥の形をした遊覧船や、湖に浮かんでいる鳥たちを撮っていたりするのですが、その遊覧船に乗ったかどうかすら覚えちゃおりません。
その後、郡山へと移動して、その日は終わったようですね。
例によってメモから出費を書き出してみます。
・食費 3,297
・宿泊費 2,080
・雑費 200
アクシデントふたたび
でね。
ホテルを予約したようなんです。
当時、ネットで予約するようなことができたがどうかわかりませんが、少なくともこの時は良さげなビジネスホテルにタウンページであたりをつけてから、電話で予約した気がします。
で、そのホテルにチェックインしたのですが、なんでも建物内の工事のため夜間に数時間だけ停電しますと。
で、我々が予約した部屋が実は停電するんですと。
ついては、部屋の照明はおろかエアコンも止まるので、その間は灯油ストーブを置いてあるからそれを使ってくれと。
それはね、予約時に教えてほしかったわけ。なぜなら違うホテルにしたから。
いくら宿も決めない放浪旅だからって、ホテルに泊まるなら安眠したいわけ。しかも2月の福島ですよ。寒い。積雪はそれほどなかった記憶があるけども寒いの。なぜなら2月の福島だから。
わかりますよね? ね?
これが事前に知らされてなかったことを愚痴ったメモがもう延々と残されていたので、15年目にしてネットに放流することで当時の恨みつらみを供養したいと思います。
なにそれ。なんなのそれ。
2004年(平成16年)2月20日 金曜日
この日は相当迷子になったようでして。
カーナビの付いていない車でしたし、スマホで地図を見るようなこともまだできない時代ですから、「福島県道路地図」みたいなのを買って、時々それを確認しながらの旅でした。
そうなると、初めて行く土地では道に迷うのも普通にあることで。
郡山とか街がデカいですからね。主に国道4号線沿いを走って行ったのですが、タウン誌で見つけた観光スポットや食事処に行くにも、スムースにとは行かなかったようです。
ちなみに同行の友人は、移動中はほぼ寝てるという感じ。なにこれ。なんなのこれ。
まあ楽しいからいいんですけどね。迷子もトラブルも、幸い致命的ではなく、むしろ楽しいからいいんですけどね。
旅先でトラブルってつきものですけど、それで機嫌が悪くなる同行者がいたりすると、やっぱり楽しくなくなるでしょう。
そしてそういうタイプの人かどうかって、一緒に旅に出ないとわからなかったりしてね。
そういうのもあって、今はひとりで動くことがほとんどです。
この旅の間はおおむね天気がよかったようですが、この日の朝はものすごい霧と書いてありますね。
ここまで来たら福島県を横断して太平洋側まで行こうということになり、いわき市の方へ車を走らせます。確かに太平洋沿いの、記憶が正しければアクアマリンふくしまへ行ったと思います。
ところがこの日は曜日のせいか、いわき市内で予算内のホテルが取れず、結果そのまま郡山の方へ戻っています。
・ガソリン代 1,262
・食費など 3,630
※宿泊費は不明
…食費かかりすぎじゃね?
何を食べたか思い浮かびませんが、旅の相方がなかなかグルメでして、ちょいとお高いところへ入った気もします。
お土産になりそうなものが見つからないとメモしてあって、それも右往左往して売っていそうな場所を探した記憶があります。
当時は道の駅というものもあまり認識していなかったので、そういったところへ行くこともなかったんですよね。
2004年(平成16年)2月21日 土曜日
予定ではもう一日福島にいるつもりでしたが、体力的なこともあってこの日に帰路についています。買って帰る土産があったかどうかも、誰かにあげたのかも記憶にないって、やっはりちょっとさみしい気がしますね。
この度の間は宿を取るのに手間取ったようで、ビジネスホテルによって値段や設備にかなり開きがあったことがメモしてあります。
予算的にうまく収められる範囲でちゃんと疲れが取れる宿をリサーチするのに、当時はネットでの情報収集というのが質や量もそうですし手段的にも難しいころだったんじゃないでしょうか。
しかも事前リサーチなしのいきあたりばったりですから、より難易度が高めで、そりゃあ停電するような宿に泊まったりもするよねと。
必ず行くからそこで待ってろよ福島
本文とは関係ありませんが、春だしね |
福島県には何度か行っているのですが、すべて東日本大震災以前のことです。正確には通過だけしたことはありますが、その時は福島県内で何もせずに終わってしまいました。
今は隣の新潟県にいるということもありますし、近々行ってみたい場所のひとつとして常に候補に上がっています。
他の記事をご覧いただいたかたならお分かりの通り、この旅から15年経った今でもいきあたりばったりというのは変わっておりません。
いつか足が向いた時には、今の福島県を旅した記事をお見せできるのかなと思っています。その機会がいつなのかは自分にもわからないような、そんな日々のままひとつの時代が区切りを迎えることになりそうです。