それが近場であったとしても、誰にも会わない道行きだったとしても、どこかに出かけるということに、ちょっと引っかかりを感じしまう。そんなご時世じゃないですか。
そんな日々の中での、ちょっとした旅模様の一日のお話。
ただ、何処かへ
正月から痛いだのつらいだのというのはやめておこうかとも思ったもののの、実際そうなんだから仕方がないというのが本当のところでね。
以前書いたように、ちょいと体調がすぐれないようになり、加えてこんなご時世なわけで、感染リスクってやつを常に考えなけりゃならないと。
そうなってくると遠くへ行きたくなったとしても、すぐに萎えてしまうようになるってもんで。
人格が変わってしまったかのように、翼が折れてしまったかのように、どこにも行かずにただただ鎖で繋がれた囚人が如く、時が過ぎて行く日々が続いている。そんな感覚がないといえば、それは嘘かもしれません。
それでも、魂の根っこというか本性まではそうそう変えられないとみえて、発作のように旅に出たい衝動が理屈や御託のすべてを上回ることがあるんです。
そうなると、ともかくどこかに行かなきゃいけない。行かなきゃってなっちゃう。やっかいな性分なんです。
その、行かなきゃいけないという強迫的な気持ちを抱えて、それでも現実とどこか折り合いをつけなくちゃいけないわけでね。
ならばともかく車を走らせて、なにも考えずアテもなしに走って走って、気が済むまで放浪しようかということになるわけなんです。
もちろん誰とも会いませんし、ましてや県境をまたぐこともありません。
会うっていってもせいぜい、コンビニやスーパーの店員さんくらいなもんで、以前はあちこちと訪ね歩いた日帰り温泉も、混んでいそうな気がしてめっきり立ち寄らなくなってしまいましたしね。
2020年というのはほぼそんな感じで、アテのないドライブに出ることが多い一年でした。
アテがないといっても、おおまかには方向くらいは多少の思いがあったりなかったりで、なにか思うところがある時はたいてい、海へ行っていたように思います。
誰もいない海を探して
その日も心に翼が生えてしまいまして。
そうなったらもう、いてもたってもいられないという難病奇病にかかっているもんですから、車に給油を済ませて適当に走り出したと記憶しています。
本格的な冬の到来まであと少しといった頃合いで、そうなったらどこに行くにも難儀することになるのは明白。そうなる前にどこかに行きたいと。
どうせ行くなら海岸沿いを走ってみようかくらいの、軽い気持ちで海を目指してハンドルを切りました。
どこまで行くか決めちゃいませんから、裏を返せばどこで止めたっていいんです。
気が向かなかったら足を止めて、動きたくなくなったら休憩して、それもこれも自分のさじ加減でいいというのは、とても気楽なもんでね。
海が見えて、海岸沿いの道をただただ走っている時間が、自分の本心に沿っている間はそのまま進めばいいという、ただただわがままな、心の動きに従うままの時間がゆっくりと過ぎていきました。
気が向いたら車を止めて、写真を撮ったりね。
天気はそんなに悪くなかったもんですから、釣りをする人や写真を取る人や、ただただ海を眺めている人なんかがいて。
そんな中、できれば誰もいないような海に居たいなと思い始めてしまい、車を止めててもいいようなそんな場所を探して、海岸沿いをだらだらと走っていました。
急に始まるお散歩タイム
誰に強制されるわけでもなく、そんな道行きを延々と続けてしまいまして。
なんだかんだで結局100km以上走り続け、いつしか海沿いを外れてとある地方都市のショッピングモールで足が止まりました。
そこだって特になにか目的があって入ったわけじゃありません。単にちょっと疲れたくらいの、休憩がてら飲み物やらの買い出しに立ち寄っただけです。
休日のショッピングモールですから車もそこそこ止まっていましてね。少し遠目の空いているスペースに止めて、ぶらぶらと歩き出しました。
お店の入り口に向かって歩き始めたんですけど、ふと見ると裏道というか広い駐車場のあるエリアからショッピングモールの入ってる大きな建物の脇を抜けて、どこかへ繋がってるような道が目に止まったんです。
ちょっとした好奇心みたいなものが湧いてきまして、そっちの方へ歩いていくと、建物の裏手は住宅地になっていて、そこそこ大きな公園なんかが見えまして。
子供たちがワーワーと遊んでいる声がしたり、犬を散歩させてるおじいちゃんがテコテコと歩いてたりするんです。
色々あって最近は散歩らしいこともしていないし、これから冬になって雪が本格的に降り出すと歩道が埋もれてしまって散歩どころじゃありませんから、いい機会だしとその住宅地へと足を向けてみたんです。
適当に写真なんかを撮りながら、ね。
雪の投げ捨てってあたりが地域性を表してる |
目眩、そしてとめどないもの
秋の終わりの色づいた葉と太陽に染められた、静かな街並みがそこにありました。
車の通りもそれほどない、歩いている人さえも少ない通りなのに、晩ごはんの支度の匂いや風で流れてくる大相撲中継なんかが、ここに住んでいる人々の気配を確かに感じさせるのが、奇妙というか不思議な感覚でね。
初めて来た街に興味津々な気持ちと、どこかに残る不安感が、歩くその一歩の度に心の中でゆっくりと混ざっていくような感じってわかりますかね。
初めて来た知らない街で知らない景色を見て。
でもそこに住んでいる人々には、その光景は日常以外のなにものでもないわけじゃないですか。
もしここで生まれていたら。
もしここに住んでいたら。
もしここに馴染んでいたら。
そんな空想妄想が、心の中でズルリとかき混ぜられていくのを自覚すると、この世が回転しているような強い目眩に襲われている感じがして仕方がないのです。
だから、旅をやめられないのかもしれません。
行き止まりの海
やがて陽が傾きだして、我に返ったのが何時だったか。
まだ天気はよさそうだし、海に落ちる夕陽を見に行きたくなってしまってね。
そうなったら止める人もいやしませんから、ここでようやくグーグルマップを起動して現在地を把握するという、やたら現実めいたことをはじめます。
とりあえず車を置いたショッピングモールまで戻り、飲み物なんかを補充して再びドライブ開始です。
その場所から海まではそれほど離れてはいませんが、日の短くなった秋の終わり際ですから、日没の時間までそれほど余裕はありません。
だいたいこの辺なら夕陽が見えそうだという目星をつけて、とはいえ急ぐのも変な話ですからそこはのんびりしたまま、またもや海へと向かいます。
遮るものなく落ちていく夕陽を追うように、不慣れな道を走って走って辿り着いたのは海。もうそれ以上は夕陽を追うことができません。
いつか翼が生えたなら。いつか海を泳げたなら。
そんなことあり得ないと知りつつも、消えていく夕陽を見ると追いかけずにはいられないという、困った性のようです。
その日も追いつけませんでした。もう何度目かの行き止まりにて、旅はひとまず区切りとなったのです。