追憶の放浪生活と冬と温泉

2021年2月21日日曜日

#道の駅 #日帰り温泉 #旅

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  もう20年近く前のことになります。なにも持たずにただただ放浪を続けていたころにさまよい着いた、小さな温泉のお話。

 

雪の中をさまよう旅


 あのころはどうやって食べていたのか、今となってはよく覚えちゃおりません。

 適当に日銭を稼いでは、そこから日々の出費を差し引いて、残ったあぶく銭がある程度まとまったら延々と旅を続けていたような、そんな暮らしだった気がします。

 

 確か1月の、雪の多い北国に辿り着いた時です。

 なんとなく居心地のいい地域でね。

 今よりもちょいとは稼ぎも良くて、それもあって年をまたいだ長旅を決め込んでいたような記憶があります。

 

 前月までは積雪はほとんどなかったのが、やはり雪国ですからいつまでも降らないなんてことはなく、新年になってからは日に日に積雪量が増えていったんですね。

 

 稼ぎがいいったってたかが知れてますから、とにかく長期間に渡って旅がしたいとなれば連日ホテルってわけにもいきません。

 そのころは、あるいはその地域は、ってことかもしれませんが、今でいうネットカフェやビデオボックスみたいな、宿泊にも使えなくはない滞在施設が少なくて、車中泊をメインにしてたまに安いビジネスホテルを利用していました。

 

 車中泊、しかも積雪の多い地域での車中泊は経験がないわけじゃありませんでしたが、連日となるとそれなりの寒さ対策の装備が必要です。

 かといって暖房のためにエンジンかけっぱなしでは車にも経済的にもよくないわけです。

 

 寒さが厳しくなっていく中、使える予算の中で着るものとかを色々工夫したりするのも、楽しいってことはないにしろ、嫌々ではなかったんですから、多少は適性みたいなものがあるんでしょうね。

 

 よさげな道の駅や安ホテルも見つかったりして、ちょっとずつ暮らしていける感も出てきまして。その時正確にどう感じていたかはよく覚えちゃおりませんが、今となってはつらさも込みで悪い思い出じゃありません。

 

案外困るのがお風呂


 その北国のある街とその周辺を、特に目的もなくただたださまよい続けているだけの、旅なのかなんなのかさえ判然としない日々だったんですけどね。

 意外とお風呂に困った記憶があります。

 

 日帰り温泉みたいなものはあるんです。ちょっと遠くまで行けばいわゆる健康ランドとかもあったと記憶しています。

 

 ですが。

 田舎の、コミュニティのせまい土地に見知らぬ奴が連日訪れる、平日でも真っ昼間でもとなると、やっぱりちょっと警戒されるというかそんな空気になるもので。

 

 こちとら、自分を知っている人のいない土地に行きたいってのも、心のどっかにはあるんです。その土地の人情に触れたいとか、仲良くなりたいとかそういうのは一切求めてないわけですよ。

 どっちかといえば、放っといてほしい。路傍の石のごとく見捨ててほしいんです。

 

 そこに、「最近よくくるねぇ」だの、「どこからきたの」だの言われはじめると、これはもうそこには行けないわけですよ。

 

 日帰り温泉なんて日本中のあちこちにあるわけですけど、日替わりで行くところを変えられるほどはないじゃないですか。ましてやそうやって、居づらさをこっちが勝手に感じはじめて通いにくくなったり。

 そこに営業時間や定休日なんかがからんでくると、選択肢はだんだん狭くなってくるんですよね。

 

 あそこの温泉は一昨日行った、向こうの温泉は常連のじいさんのいない時間帯に行きたいけど今からじゃ間に合わない、こっちの温泉は休みだし、みたいなことを結構考えちゃうんです。

 

 そういうのがいたたまれなくなって、その地域を離れたりしてね。自分で自分を追い立ててるような気にもなってきて、それはそれで今の自分の暮らしぶりと合わせてみて、なんなんだろうこの感じっていう。

 

 ビジネスホテルだって、尋ねられはしませんけど頻繁に利用してるのもどうかと思ったりして、なるべくあやしまれないようにしなきゃ、みたいなね。

 悪いことは一切してないのに、なんかそういうのに怯えちゃうんですよね。

 

真冬の車中泊


 こんなですから、泊まる場所にも気を使うんです。

 車中泊するとなると、道の駅なんかが思いつくと思いますが、毎日となるとさすがにちょっとどうかなということになるわけで。

 

 道の駅とかは温泉施設なんかに比べたら圧倒的に少ないので、どうしても頻繁に行くことになる。それでも連日は避けたいから、結構離れた位置にある違う道の駅まで行ったりして。

 

 それに、道の駅だからって安易に泊まれるとは限りません。

 そういうのを嫌がるところもありますし、防犯的な意味でちょっと良くなさそうな場所ってのもあったりします。

 

 職務質問的なことも、こっちは悪くなくても深夜早朝にあったりしますし、悪くないからこそ受け答えしなきゃいけないし。

 逆に言えばパトロールがあるなら安心だな、みたいな考え方もあったりするものの、夜中に起こされたくはないわけで。

 やっぱりそういうのなしで一夜を過ごしたいってのが人情ってもんでしょう。

 

 それに加えて、雪。これがやっかいでね。

 道の駅って敷地が広めなので、夜中に積もった雪を除雪するのにたいていは2時から4時くらいに除雪車が入ってくることが、経験上多いんです。

 

 除雪中に車が止まっていれば、そこを避けて除雪作業をするわけで、必然的に自分の車の周囲だけ雪が積もったまま取り残されちゃう。

 

 もっと言うと、除雪車って車両の前面についてるバケットというかショベルというか、それで雪を押して集めていくわけで、そうなると自車の周りだけ押された雪がうず高く残されることにもなりかねないんですよね。

 

 そもそもが、そんなところに車を停めてるのが悪いわけで、取り残されるのは自業自得、自力で脱出するのが当たり前だと思ってますし、除雪作業の邪魔になりたくないってのもありますからね。

 ですから、真冬の車中泊は深夜に起きて移動したりまた寝たりすることがあって、それが連日連夜となると徐々に睡眠不足になったりするんですよね。

 

 こうなってくると、もうなんのために旅してるのか、だんだん意味がわからなくなってくるんですけど、それでも止めなかったってのは、やっぱりこう、どうかしてるんでしょうね。

雪景色


こんなところにも温泉がある


 古い話ですから、思いだしながらで正確じゃないかもしれません。

 

 インターネットが普及し始めて、携帯電話でもネットができるようになったのは、あれはいつごろでしたっけ。

 そのころ、道の駅やら温泉やらをどうやって見つけていたのか、あんまり記憶にないんですけど、ネットの情報ってまだまだ少なくて、旅行系とか地域情報的な雑誌を立ち読みしたりしてたような気もします。

 

 目的なんかなく、ただただふらついているだけの毎日でしたから、気が向いたら車で知らない道を行って、まれになにかを発見したり、みたいなこともあったりね。どちらかといえば、そっちのほうが多かったかもしれません。

 

 その温泉も、そうやって見つけたんだったと思います。しばらく続いていた先のない旅の、終わりが近かったころのことです。

 

 ある大通りの通りすがりに道案内の看板があるってのは何度か見かけていました。

 場所的には都市部からかなり外れで、近くに泊まれそうな場所がなかったこともあって、本当にただ通り過ぎるだけだったのですが、ある日思い立って看板の案内通りに道を曲がってみたんです。

 

 その日は朝から、大雪でね。

 ボタボタと音を立てそうなくらいの大粒の雪が、とめどなく降り続けていたと思います。

 

 もはや日常とも非日常とも区別がつかなくなった旅の日々も、そろそろ終わらせないといけないなと思いはじめていたからかも知れません。

 

 日帰り温泉と思われる施設名が書かれた標識のような看板を曲がった先は、住宅地と言うか集落というかともかく民家が集まっている細めの道でね。

 これは多分しばらく進んで行かないと温泉には着かないんだろうなとは、直感的に思っていました。

 

 住宅地らしきあたりはすぐに越えてしまい、ゆるやかな上り坂と、除雪された雪が脇にどけられているせいでとにかく細い道だったと思います。

 当時はグーグルマップとか使えませんでしたし、ナビもそんなに詳しいやつじゃなかったので、とにかく不安でね。

 

 この道で合ってるのかしらという思いが強くなってきたあたりで、さらに看板があってホッとなり。その先にしばらく行った雪また雪の、言いようによってはちょっとした山の中にその温泉がありました。

 

ストーブと窓ガラスと重すぎる雪と


 正直なところ、温泉の記憶はほとんどありません。施設名も覚えていないんです。記憶を懸命にたどると、ふたりかそこらが入ってしまうと満杯な小さな浴槽と洗い場が浮かぶので、本当に小規模なところだったんじゃないかと思います。

 

 温泉の効能とか泉質とかに、それほど興味があるわけじゃありません。そのころはまだ若かったですしね。身体の疲れを取るというより、旅ぐらしに明け暮れて単純にお風呂に入りたいってほうがメインだったのもあります。

 

 カメラ付き携帯ではあったと思うので、持っていた携帯電話で写真を撮るなんてことも、機能としてはできたと思うのですが、そこまで興味はなかったころです。写真は一枚も残っていません。

 

 さっきのお風呂の光景よりもずっと鮮明に覚えているのは、休憩できる座敷での風景です。

 

 それほど広くない部屋と、昔からあるであろう石油ストーブにかかる、焦げ跡と色の削れた大きなやかん。薄く昇る水蒸気。

 視線を外して窓に目を向ければ、庭なのか敷地内のどこかに通じるのか、雪にのしかかられてしなだれた木と、白く降り止まない雪の果てしなさ。

 

 部屋を暖めるストーブの匂いと、容易に想像できる外の寒さと、未来のない旅暮らしの果てにいる自分との相容れなさみたいなものに目眩がしたのをよく覚えています。

 

 ガラス一枚に守られた室内は、いま温泉でひと息ついている自分に、どこか似ていたんですよね。薄皮一枚はいでみれば、いま得ているものの儚さがやたら見えてしまうような。

ガラス越しの雪


白い景色はもう見当たらない


 旅を終えて、また旅に出てを繰り返して繰り返して、ある日その温泉のことを思い出しましてね。

 名前は出てこないけれど位置関係なんかからおそらくここだろう、という場所をネットで当たってみると、どうやらもうすでに廃業しているようで。

 あの場所に行くことはもうかなわないようです。

 

 なにか特別な思い出があったわけでも、何度も通ったわけでもない、一度きりのあの場所にまた行ってみたいと思うのは、もう行けないと知ったからなのかどうなのか。そのあたりはハッキリとしません。

 

 ただ言えるのは、まだ旅は続いているということと、旅をしているうちは、また巡り会えるだろうという漠然とした思いがあるということでしょうか。

 

 今年も、雪は降りました。

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