通ってる喫茶店はありますか。
喫茶店じゃなくたって別にいいんですけど、そんな場所があったらいいな、あったんだけどな、というお話。
いつもの、って言ってみたい
何でもいいんですけど、いつものやつ、ってのにあこがれませんか。
近所の、玄関先のショーケースにうっすらホコリが積もったようなさ。食品サンプルの色があせちゃって、ナポリタンだかカルボナーラだか見分けがつかないような、古い洋食屋に行ってね。
カランカランと音を立てる、重い玄関のドアからはちょっと奥まって死角になってるそこの席には、あいも変わらず灰皿と畳んだスポーツ新聞とマッチが置かれててね。
そこにまっすぐ座ってひとこと。
「いつもの」
実際は私、ひねくれもんですから、同じ席に座るのも同じメニューを頼むのも、どこかむずがゆくなるんです。
もっと言えば、同じ店に通って、いつもので通じるようになるまで通っちゃいけないような気さえしてるんです。
だっていつまでこの街にいるかなんて、自分にだってわかりゃしないような暮らしを続けてきたんですから。そうやって馴染んでしまえるような街に出会ったこともないのに、居着いてしまったらいけないんじゃないかって。
そんな、多分誰に言っても、「はぁ?」 ってな理由で、いつものってやつをちょっと避けてる部分もあるにはあるんです。
もちろん、いつものやつみたいなので通じちゃう、そういう間柄になりたいような気持ちはあるんですよ。
でも、そうなれないような予感もするんです。
だから、いつまでも手に入らないもののように、あこがれに似たなにかが心の何処かにあるというわけなんです。
今は昔のいつもの店たち
そんな私だって、いつもの店みたいなものが、まったくなかったってわけじゃありません。
むかしむかし、通ってた小さな飲み屋さんは、とある街の繁華街の片隅にあって、姉妹で切り盛りしてましてね。
なんかやたら居心地がいいのと、なぜか知りませんけどちょいと安くしてくれてたせいもあって、しばらく通っていました。
そこじゃ確かに、いつもの酒をボトルで入れてて、いつもの割り方で、適当にちびちびダラダラと飲んで。
雑談なんてもんじゃないくらい雑な話をして、ふらふらと帰るか、そのまま朝まで飲み明かした記憶しかありません。
結局は潰れてしまいましたけれども。
むかしむかし、よく行ってた店たちは何故か、そんな感じでほとんどがもうやめちゃってるところばかりでね。
更地になったり、駐車場になったり、コンビニになったり、小綺麗な洋服屋になったりして。
位置関係的にいつもたいてい、ここに座ってたよなって空間を想像するのも難しいくらい、街ってのは変わるもんなんだなって思い知らされたりしてね。
別に誰が悪いわけでもなく、誰のせいでもないことがあるってのは、今日び子供だって知ってるかもしれないのに、いまだにうまく消化しきれてないような気がするのです。
いつもの喫茶店に通ってみたい
喫茶店通いという、語感だけでもうなんかいいじゃないですか。わかります?
朝、ある時間になるとやってきて、決まってコーヒーとサンドウィッチを頼んで、やがて時間が来ると仕事なのかなんなのか知りませんけど行ってしまうお客さん。
そういうのはやっぱりどこかいいなと思うんです。自分がそうなれるかは別として。
ああいうのって、サラリーマンなら出社する時間や通勤経路によりけりじゃないですか。
特定の駅を使ったりして、その近所に朝からやってる雰囲気のいい喫茶店がちゃんとあって、初めて成り立つもんでしょう。
そういう条件に当てはまったことがあんまりないんですよね。朝が早かったり、そもそも喫茶店がなかったり、あってもちょっと入りづらかったり。
あとは引退したご老人が、毎日やってくるパターンですよね。その場合は自宅の近所にそういうお店があってほしいじゃないですか。
年をとったら、そういう街を探して引っ越すのもいいかもしれないな、なんて。
喫茶店通いって、いつかはちょっとやってみたいなっていう行為なんです。それをやったから、何がどうのってのはないってわかってんです。
でもいいなって。なんかいいなって。
旅先で同じ店に通うこと
旅の話をするとね。
例えば、長めの休みで放浪してる時なんかは、移動に移動を重ねてっていうパターンよりも、なんとなく気に入った地域内をウロウロすることが多い気がします。
そういう時はホテルも連泊でとったりしてね。
そうなると、一度入った店にまた行ってみるってこともあるんです。
…なんでしょうね、保守的なんだがそうじゃないんだかわからない話をずっとしてる気がしますけど。でも実際そうなんだから仕方ないんですけれども。
我ながらよくわかっちゃいません。
で。
まれにね。
ごくまれに旅先で、いい雰囲気の喫茶店とか定食屋とか居酒屋とかを見っける時があるんですよ。
旅してると、ちゃんとした食い物を出す店ってのはホントに貴重だと思うんです。口コミサイトとか地域情報誌とかで推されてる店とか、アテになんないでしょう。
こっちは普通の食事ができればいいんです。
そんな小洒落たカタカナのお料理とか、ましてや地中海風とかカスピ海風とか十和田湖風とかそういうのはいいの。
不思議な色したスープの、らぁめんってひらがなで書いてるようなのはいいの。
旅先で、一応リサーチしたり、あるいは直感で入る食事処の玄関のドアまで向かう時に、ほぼ100%思ってることは、
「普通でお願いします!」
なんだから。
美味けりゃもちろんいいに決まってる。けど、普通でいいの。
混みすぎててもダメだし、客がいなすぎても不安だし、暖簾がボロボロでもおっかないじゃん。
そういうのを乗り越えて入るわけ。だから、普通でいいの。ホントに。マジで。
でね。
やったよ、普通だよってなって。
てゆーかなんか居心地いいじゃんって、仮にもしも万が一そうなっちゃったら、わざわざ違う店におそるおそる行きゃしないんだって。
このお店が、自分的には当たりなんだから。わざわざギャンブルしなくていいんだもん。
結果、そこいらへんに滞在してる間は、貴重な貴重な「普通の」お店に通うことになるんです。
もちろん、変に気はつかいますよ。
このブログの他の記事を読んでくださってるかたなら、もうおわかりだと思いますけどね、妙に気はつかいますとも。
だって、知らない客が急に一日に何回も来たら、お店の人に変に思われるかも知れないじゃん。
昨日も来ましたねーなんて、そんなとっかかりから世間話とかされても、それはそれで困っちゃうし。
こっちがそういうモードなら、そりゃあちょっと話がはずんだっていいけれど、こちとら風に吹かれて飛んできた根無し草なんだから。そんなふうにされたら恥ずかしくって通えないよね。
だから、一応は間を空けて。
昨日のお昼に行ったから、今日は夕飯時にしようとかさ。明日もいるんだから、今日はコンビニでカップ麺食ってホテルで膝を抱えていようとかさ。
一応ね。
そうやって、旅先でまれにいい感じのお店を見つけると、にわか通いが続いたりもするんです。
いつもの喫茶自販機
ツイッターではよく、このフレーズで始まるツイートをしています。
今の仕事場に通う途中にある、ちょっとした駐車スペースとそこにある自動販売機で、缶コーヒーを買ってそこで一服するのがお決まりでね。
今風に言えばルーティンってやつなんですかね。意味はよく知りませんけども、そういうことなんでしょう?
なんかね、こうしないと仕事に行く気がしないというか、日々に向き合える気がしないというか。
いつもの席でいつものやつを頼んで、いつもの新聞をめくって、時間になったら出ていくっていう、あの喫茶店通いに似たことをやってる気になってることも、自分の中ではちょっとよかったりして。
別にそのコーヒーになにかそういう作用があるわけじゃなし、その場所がそんなに落ち着くってわけでもなし。
ただ、それがなぜかいいっていう、腑に落ちてるってだけの、そんな習慣でした。
あの朝までは。
いつものように行ったらね。ないんだよ。
自販機がないの。
撤去されてんの。
そんなことある?
結構な頻度でそこで飲み物を買ってたのよ。
自分だけじゃなくて、他にも飲み物を買っていく人を見てるから、多少なりとも売上があったと思うんだけども。撤去。影も形もないの。
まあ、色んな事情があるんでしょうよ。
思えば、むかし通ってた店たちだって、そうやってなくなっていったわけで。それにはさ、多かれ少なかれなにかしらの理由があってのこと、なんでしょう。
それはわかりますよ。そういうものだってのはわかってますとも。
でもさ、なんであたしが通ってるとさ、いつもいつもそうなるわけ?
そうも思いたくなるというか、そんなの偶然だって頭の何処かでは理解していてもね、なんでこうさ、ね? ね?
その日はなんかもう呆然としちゃって。
とにかく、別の自販機を探して。そこに居たくなくて。空っぽの空間に居たくなくて。
同じコーヒーが売ってる自販機に辿り着いて、いつものコーヒーを飲んで。
そのコーヒーのまずいことったらなかったよね。居場所なんて、見つけても取り上げられちゃうんだなって思っちゃったらさ。
そこにある偶然とそこに居られる偶然と
代わりの自販機は一応見つかったけどね。
こっちは一回やられちゃってるから。そういうことなんだって、思わされちゃってるから。
だからもう、なんかね、朝はちょっと居心地悪く始まってるってのが現状です。
いつものようにやさぐれて、渡り鳥を気取って離れて暮らしてもいいんだけど、でもでもいつかは人並みに、いつものあの場所ってのが見つかるかもしれないなってのは、思ってるんです。
あるがままで通える何処かが見つかって。見っけちゃって。
いつまでも続かないとしても、そういう場所を探さなくなっちゃうのはなんか違うかなって、思い直して。
いつもの喫茶店通いらしき光景にとけこめる日がくるんじゃないかと、そう思っているという、そんなお話です。