雑。タイトルが雑すぎやしませんか。
小学生の夏休みの作文じゃないんだからさ、なんだよスイカとわたしって。
原稿用紙5枚だって言われて、会話なら短くても一行使うしカギカッコ自体も1文字になるから効率的なんつって、ほぼほぼ友達との会話で原稿用紙埋めんじゃねぇよ。大人になったら文字数が大事なんだよ。ブログは二千文字以上を目安に書けとか知らねぇよ、こちとら急に六千文字とか書いちゃう病気なんだぞ。
のっけからなんでケンカ腰なのかは、サッパリわかりませんけども。
ブログを書いたらやりたいこと
あの、ブログをね、更新したらやっぱ読んでほしいじゃないですか。
一切役に立たない内容ですよ?
むしろ、役に立つと思ってるほうがどうかしてるやつですよ。
でも、一応書いちゃったし。
書くっていうか嘔吐に近いようなもんでも、一応ケリがついてカタチになっちゃったやつだし。そしたら放流したいじゃないですか。むしろ捨てたい。出ちゃったら捨てたいの。
それでも読んでもらえたほうがいいわけで、図々しくも書いたら公開するようにはしてるのね。
でも、カタチにならないものだってあるわけ。Twitterでは連日、どうしようもない短文を世間様に投げつけてるけれども、ブログという単位ではまとまんないわけです。
そうすると更新頻度が下がっちゃう。別に下がったっていいんだけど、更新しないとできないこともあるのね。
そのひとつに、ブログの更新通知ってのがあるんです。
読んでほしいから、Twitterで更新したよと告知しようってなるでしょう。でも毎回毎回、記事のタイトルとかURLとか、あとブログにつけてるタグとかを手打ちするのは大変だしめんどくさいじゃない。
だから、自動でツイートしてくれるように設定してるんです。このブログはGoogleのBloggerというサービスを使って書いてるんですけど、Bloggerと連携するIFTTTで自動ツイートする設定にしてたんですよ。
ただ、細かくは書きませんけど、IFTTTが有料化にともなって色々と制限が加わり、それへの対応としてMicrosoftのIFTTTみたいなサービスである、Power Automate (旧名は Microsoft Flow) を使ってみようということになり。
でもそれって、更新しないときちんと動作するかがわからないんです。ブログを更新したらイメージした通りに自動でツイートしてくれるかは、ブログを更新しないとわからないの。
もちろんダミーのブログを更新すりゃあいいんですけど、それもなんかなって。なんかなってなって。
で、ブログの更新ツイートが自動でできるか調べたいということをモチベーションにしてブログを更新するという。目的が手段で手段が目的でみたいな。俺がお前でお前が俺で的な。
もう意味がわからない、なにがなにやらわからない状況にあるんです。
写真から書けちゃう話もある
いざブログを書くとなると、書きたいネタがあればそのままそれを衝動にして書けばいいんですけど、さっき書いたようにブログとしてまとまるとは限らないんですね。
上手く表現できなかったり、文字量的な面とか内容的なものとか、今日はもう疲れたしってビール飲んでウダウダしてる間に旬を逃しちゃったやつとか。
で、パッと思いつくネタがないなって時にやっているのが、逆説的なんだけど、ブログに載せる写真からなにか思いつかないかなっていうこと。
ブログって、個人的には文字だけでいいと思ってるのね。
世の中には色んな表現方法があってさ、なんか会話形式で変なキャラとフキダシ付けたり、ほぼほぼ空行みたいなのもあるけど、あんまりそういうのは自分ではいいかなと思ってて。
ただ、文字だけだとキャッチーじゃないっていうか。
本を読む習慣があった、もしくは今でもある人は長文も苦にならないんだろうけど、このご時世に目に入ってくる文章ってSNSにしろネット記事にしろ、そんなに長くないのが主流でしょう?
だから挿し絵的なイメージで、1枚2枚くらいは写真を載せようというのは、ちょっとした決まりごとにしてるんです。
意外と困るのが、その記事の内容に則した写真があるかっていうと、そうでもないんですよ。かといってネットで拾ったようなフリー素材みたいなのを使うのも、それはなんか違うわけ。自分の中ではそりゃないよと思っちゃう。自分で用意したいんですよね。
じゃあ、自分で撮った写真からのチョイスってことになるんだけどそれが上手くいかないもんで。旅をした一日のことを書くなら、なにかしら一枚くらいはあるもんですけど、書けちゃった内容と写真が合ってるとは限らないわけ。
例えば旅先でさ、暖簾のくたびれ具合と店先にあるショーケースの天丼の色あせ具合がさ、エビの尻尾がさ、看過できない感じになってる飯屋を見っけちゃって。
ここは… そもそも営業してるの、か?
あ、でも店の中からおっさんが出てきたわ。どう見たって近所の、ポロシャツ白ひげツッカケって感じのおっさんが出てきたのが見えて。
やってんだ、営業してんだ。
でもどうせ、常連だけで回ってるような店じゃないの? って考えてたところに、なにかのタレの甘じょっぱい系のいい匂いがプーンとしてきて。
だけど、その旅のことをブログの記事にする時に、その定食屋の話まで書いちゃったら盛り込みすぎると。だってその夜泊まった、とてもアクの強い民宿の話だけで1万文字になっちゃうんだと。
その上で、このド昭和系な定食屋の話を始めちゃうと、1万5千はかたいと。
だって、スイカとわたしってタイトルのブログの中の、例え話でこんだけ文字数使ってんだよ。まだ一切スイカの話はしてねぇっての。
で、その飯屋の写真は山ほどあるけど、メインのダメ民宿の、載せてもいい写真は一枚もない場合ね。載せたら色々まずかろうってな写真はありますとも。
そういう時は挿し絵の写真に困ったりするの。ブログの内容と手持ちの写真がマッチしないんですよね。
それとは真逆に、特に意味もなく撮った写真から、なにか駄文が書けるなって時もあるんです。
今回がそのパターンで。
スイカの写真がね。あるんだよ、なぜか。無駄にいっぱい。
で、書けることもあるなって思ったのね。まさかこんなことになるとは一切思わなかったけど。
カットスイカを買っとこう
…いや違うんだって、まあ聞きなさいよダジャレとかじゃないんだって、閉じるとかバツとか押そうとするんじゃないよ。まだもうちょっとあるから。無駄に続くから。ね? ね?
でね。
スイカといえば、半月状に切ったやつをイメージすると思うんですけど、店頭に並んでるのはまるのままカットしてないやつか、皮も取ってブロック状に切ってあるやつが多い気がします。
まるのままのスイカって、たぶん一度も買ったことはないんじゃないかな。半月状の皮付きのものだって、ほとんど買った記憶がないよね。
あの、最近の子供は魚というと切り身みたいなのが海を泳いでると思ってる、みたいなのあるじゃない。あれも、ちょっとわかるっていうか。
そりゃあ知識としては、スイカが畑でまるのまま生ってるのは知ってるけど、口にするのはブロックでカットされたスイカなんだもん。
からあげクンからニワトリの姿は想像つかないじゃない。あの目がギョロッとした、トサカがふるふるしてるのを、からあげクンから想像できたら逆にどうかしてるよね。
それでね。
たぶん年とったってことなのかもしれないけど、ここ最近フルーツを食べるようになってきてて。若いころは買ってまで食べなかった気がするんです。別に嫌いじゃないけど、わざわざ買わないっていうか。
それがこのところは、ちょくちょく買うんですよ。スイカに限らずなんですけど、梨とかみかんとか買っちゃったりして。
で、夏はスーパーの店先に並んでるフルーツといえば、やっぱりカットスイカですから、買っちゃうよね。
美味いし。なんかやたら美味いし。
また話が変わるんですけど。
趣味とは言わないしマニアックなところはそんなに求めないものの、スーパーマーケットを巡るってのをやるようになってね。
いつからだろう、最初はあまり意識してなかったんですよ。
例えば旅先でその土地の有名な食い物屋に行くのもいいんだけど、地場のスーパーに行ってその土地の人が食べてるものを見て、気に入ったら食べてみるのが、いつもと違う土地に来てる感じを味わえるなってことに、自分の中でなってね。
そうやって巡ってるうちに、同じ都道府県内でも、あるいはもっと小さい範囲の地域でも、スーパーによって仕入れに違いがあるのに気がついてくるようになり。
流通網が発達して巨大な企業が大きな顔をしてる現状では、パッと見の品揃えとかはそんなに変わらないじゃないですか。
加えて、どのスーパーでも、客の導線を意識したり買い物の傾向を分析したりした結果、入店したらまず野菜コーナー、奥に入っていくと鮮魚とかお肉、惣菜ときて、日用品や飲み物なんかは中央でレジ脇にはちょっとしたお菓子や電池類、みたいに、店内のレイアウトがパターン化してる部分も結構あると思うんです。
だから、一見するとどこのスーパーもたいてい同じで、変わり映えしない。だけど、よくよく見て回ると、元々の仕入れルートの違いや、差別化しようとしているコーナーとかが見えてくるんですよね。
スイカから見えてくるもの
で、スイカ。
それもカットスイカだけにしぼってみても、けっこう差があるもんだと気がついたんです。まあニッチな話ですけども。
例えば値段って、そんなに差があるのを見たことがないんです。まるのままのスイカだと、店によってそこそこ違ったりするんですけど、カットスイカってどこの店もそんなに差がない気がするんです。
思うにまず人件費がかかるでしょう。自動でカットする機械があるかどうか知りませんけど、フルーツ系はたぶん手作業で、包丁持って切ってってのが多いと思うんです。想像ですよ、勝手な想像で。
そうすると人件費がかかる。あと、カットスイカを室温で置いておけませんから、冷やさなきゃいけない。それもコストがかかる。入れておく容器の費用だってかかりますから、そういうのを込みの値段なのがカットスイカじゃないですか。
でも、店によってそんなに値段の差がないのは、やっぱり競争原理が働いてるんだと思うんです。
皮付きまるまるの果物より、切ってあってすぐ食べられるほうが客としては手を出しやすいわけですから。売れ線のものは、やっぱり他と比べられちゃいますからね。
ただ、そのカットぶりには、けっこう差があるんです。容器の大きさの都合もあると思うんですけど、細く薄くカットしてる店もあれば、ぶつ切りって感じの豪快な店もあるんですよね。切ったスイカが容器にびっしり入ってるところと、けっこうスカスカなお店とかもあったり。
さっきも書きましたけど、カットはたぶん手作業だと思うんですよ。フルーツ担当のもう勤続20年を越えてるベテランのおばちゃんが、出勤して夏の暑さと旦那の愚痴を同じパートのおばちゃんとひとしきりくっちゃべったあとにするのが、カット作業だと思うんです。
でね。
一度でもカットの大きさが店によって違うなって気がついちゃうと、もうそこを注目しちゃうよね。
大きいからいいとかではないんですよ。容器のサイズとか詰め方とかもあるから。
でも、カットスイカっていうスーパーという規模の中ではごくごく狭い商材でアピールできるのは、元々のスイカの良さも当然ながら、カット感というかサイズ感みたいなものもデカいと思うのね。
で、某地方スーパーのカットスイカが、やたらとぶつ切りなんだ。
たぶん朝から店長にイヤミ言われたんだと思うんだよね。くっちゃべってないで仕事してくれと。今日はシゲさんが休みの日な上に、鈴木くんも唐揚げに取られてると。
スイカのカットが終わったらすぐ野菜に行ってほしいんだと。ぐちぐち言われたんだと思うんです。
こちとらね、20年のベテランですから。
今の店長が18で入ってきた時からスイカ切ってんだから。シゲさんとみよちゃんが結婚する前からスイカのカットやってんの。
それが、みよちゃんがあんなことになって。
シゲさんだって大変なのは店長もわかってんじゃないのと。前の店長はシゲさんがター坊をおぶって刺盛り作ってたって、なーんにも言わなかったよ。刺盛りが立派ならいいんだよって。廃棄のパンをこっそりあげたりしてね。そういうとこだよ。
それが店長が変わってから、コンプラだか天ぷらだか知らないけどさ。
そんなやり場のない憤りを抱えて包丁を握ったら、そりゃあスイカもバッサリざっくりになるってもんでしょうよ。カット一個が赤ちゃんの握りこぶしくらいにもなるでしょうよ。
悲しい。なんか悲しい話になってきた。ぜんぶ妄想なのに。
でね。
ともかくそこの店のカットスイカはやたらデカく切ってあるの。容器も、惣菜の冷やし中華とか蕎麦で使ってるような、どんぶりサイズのやつに入ってるんだ。そりゃ中身もデカくなるよっていう。
しかも美味いの。
ぱさぱさしてる駄スイカかと思えば、普通に美味いの。
それでいて他のスーパーと値段はほぼ一緒とくれば、食べごたえ的な満足感があったほうがいいよねということになり。
そのお店に行く度にカットスイカを買うようになってね。シーズンが去って、カットスイカが店頭から消えるまでそれが続いたんです。
次の年もそれを思い出して、夏が来るちょい前くらいにそのスーパーのフルーツコーナーへ行ってみると、これが健在なわけ。カットっぷりが健在なわけ。
そうなるともういるよね。確実にいることになってる。
いよいよ、勤続20年の、いや今年で21年のおばちゃんの存在が、自分の妄想の中でできあがっちゃって。
いるんだって。きっと。タイムカード押しちゃってるから。
でね。
今年はちょっと色々タイミングがなくて、そのスーパーに行ったのが7月も終わりになってからだったんだけどね。
変わった。変わってたよ。
ちょっと薄いんだ。容器もちょっと小さくなっちゃって。
買ってみたよ。味はいいよ。美味かった。
でも、あのおばちゃんが辞めちゃった気がしてさ、なんかしょんぼりしちゃって。帰り道は足取りが少し重かったよね。
そんなおばちゃん、いないのに。