敬老の日ってあるでしょう。9月の。祝日の。
あれって昔は、9月15日って決まってたんだよ。今は第3月曜日だったか、そんなふうになってさ。連休になるように変わったんだけど、昔は9月の15日固定だった。
いつから変わったのか、覚えてないけど。
9月15日は、生まれて初めてひとりで旅に出た日なんです。
あの日、私は、生まれ直したんだと思ってるんですけどね。
生まれる前の古い記憶
今じゃ旅なんてのはひとりでするものと決まってるんじゃないかと思うくらい、まあ勝手気ままにやってんです。
旅先でのふれあいすら求めずに、ただひたすらに彷徨い果てるのが生まれながらのようになっているけれど、その始まりはあの日。
あの日以前の記憶はほとんど残ってないけれど、はるか遠いページをめくれば、あのころはただただ子供でね。
実年齢もそうだったけれど、なにもかも子供でして。自我もなく、やりたいこともなく、身動きも取れず、意見も疑問も意義もない空気のようなものでした。
暮らしぶりはひどいもんで。
起きるのは夜。そこから朝まで起きて、あとは眠り続けるような日々を延々と続けてまして。
起きている時は、深夜ラジオと音楽をずっと聴いていたっけ。思えばそれが、旅の切っ掛けになったんだから、なにが作用するかわからんよね。
深夜ラジオから
真夜中。
あるラジオ番組のイベントの告知がイヤフォンから流れてきたのは、8月の終わりが9月のはじめか、たぶんそのあたりじゃないかと思います。そのへんは細かなもう記憶にないんだけど。
なぜそのイベントに行きたいと思ったのかも、今じゃハッキリとしなくて。
ともかくそのイベントに行きたかった。なにかの熱があったんですよね。夢中と言い換えてもいい、そういうことありませんか?
イベント会場は都内某所なんだけど、そこまでどうやって行くのかもわからない。いくらかかるのかもわからない。その程度の知恵もないわけ。今みたいにネットに容易にアクセスできる時代じゃなかったし。
そもそもお金がないし、と思ったけれど、ある。あるある。
なにでどうやって貯めていたのか、これもまったく記憶にないけど金額だけは覚えてる。使えるお金が3万円あったんだよ。
当時の3万円は今の貨幣価値で言うと30万円くらい。
なんてのは古い時代を舞台にした小説とかドラマとかで、よく聞く説明だけどね。感覚的にはそれに近いと思う。
待って待って、今昭和初期とか想像したでしょ。そんなわけないでしょうよ。戦後の貧しい時代みたいな。そんなに歳くっちゃいないって。
実際、当時の価値がどうだったかは知らないけど、自分にしては3万円が今の30万くらいの重みだったの。
だって、子供だし。無収入だし。
そもそもそのころは、金銭感覚なんてものがまるでなかったと思う。滅多に家から出ないんだから。そんなやつが3万とか持ってたら、大金持ちに分類されてしかるべきでしょうよ。
それだけあれば、なんとかなるんじゃないのか。電車とかつかってさ、なんとか行けるんじゃないの。
今だったらネットがあるから、目的地までの行き方とか交通費なんてすぐわかるし、なんならチケットもその場で取れるけど、そんなのはまだなかったの。
実際にどうやって調べたのか覚えちゃいないけど、ともかくこうすれば3万円で往復できるし食費とかその他諸々がまかなえる余裕もあると、自分の中で目処がたったわけ。
出発前のあやしい気配
じゃああとは出発するだけ、とはいかないのが子供の面倒なところでね。
親を説得しなきゃならない。
なにせ、昼間は延々と眠り続けて、深夜だけ起きてるようなどうしようもないガキが、急に旅に出ると。ついてはこのカネを使って行くと。ひいては、それについて許可しやがれという話をしなきゃなんない。
そんな面倒なこと、今じゃ一切ないじゃない。これを読んでるあなたは、多分いいオトナでしょ。
オトナっていうか多分ある程度こっち側の、ちょっとアレな感じの。
ええとね、なにか失礼のない表現がないか、今がんばって探してるんだけど、あんま思いつかないんだけど、どういえばいいかな。
残念なオトナ?
いいか、もうそれでいいか。そんな人が読んでんだろ、どうせ。こんなブログ読んでるのはちょっとどうかしてる、残念なオトナだろ。多分。
ええと、そうね。
ありがとう。
でね。
歳を重ねちゃった今じゃ自分がなにしようがさ、叱ってくれたり止めてくれるような人なんてほぼいないじゃない。
でも、子供って親の許可がいるんだよ。めんどくせぇことに。
家出同然にふらっといなくなっても別にいいと思ってた記憶はあるんだ。ただそれをやると、あとあと困るだろうってのもわかっちゃいたから、その手はあとに取っておこうと。
で、どうにか許可を得てね。
いや、そんな平和的なもんじゃなかったんだけど、とにかくイベントに参加することができるってなったの。
今と昔とが行ったり来たりするけど、今なんか許可を得るどころか自分でもそもそも旅に出る気なんてなかったはずなのに、いつの間にか知らねぇ街に来ちゃってる、なんてことばかりですよ。
スーパーでトイレットペーパーと油揚げと1玉30円のうどんとか買って、帰りになんだか気分が乗って車で夜通し走って、隣の県とかにいたりするんだから。
うどんが腐っちゃうと思ってホームセンター探して、発泡スチロールの保冷ボックスと氷買ってきて、そこでうどんを冷やしてんだから。なにしてんだっていう。
そんな計画性のケの字もないことをしまくってる今だけど、初めてのひとり旅だから。さすがに色々調べて。
どうやってかはわからないけど、旅行雑誌でも見たのか交通機関に電話して訊いたのか記憶にないんだけど、当時住んでた町から大きな街まで出て、そこから高速バスで都内まで行けるってのがわかったのね。
で、当日。9月15日。敬老の日。
カバンひとつと財布に3万円もってさ。家を出て。
当時は漠然としか感じてなかったけど、この時の解き放たれた感じっていうね。
これが今の今まで連綿と続いてる衝動のように思うんです。ここを出ていいんだ、みたいな。
最寄りの駅から、高速バスが出るデカい街まで行くんだけど、一日に数本しかないようなところに住んでたから、高速バスの出発時間にきれいにつながるのは難しいわけ。
相当早めにデカい街に着いちゃう感じで。
それだって、一日数本しかないから、万が一でも乗り遅れるようなことがあるとアウトだから。そもそも夜行性な生活なんだからさ。真夜中に起きて昼間は寝てるのが基本だったんだから。
で、ちゃんと起きて。上手く乗れたんだけど、なんか怪しかったの。
出発前の親の挙動がなんか怪しかったの。
これはなにかあるなって。
敵から身を隠せ
で、それが当たるんだけど。
高速バスの出る街が終点で到着しまして。祝日だから乗客も多かったし、けっこうごったがえしてる感じで、降りていく人がどっと改札口に流れ込んでて。
その流れに乗っていったんだけど、改札の向こうに見たことのあるやつが見えるわけ。首をのばして誰かを探してる感じで姿が見えるわけ。
当時、ここまで書いてきてお察しの通り、ちょっと普通の暮らしぶりの子供じゃなかったのね。
そのせいで、カウンセラー的な人が定期的にウチに来てて。何歳くらいだったのかなぁ、まあまあのオジサンだったと思う。
その人がどういう伝手でウチに来るようになったのか、今じゃ知る由もないけど、どっか遠くの街からわざわざウチまで来てるってのは聞いてたのね。
当然だけど、そんな人とフレンドリーなわけもねぇっていうか。そりゃそうだよね、得体のしれないオジサンと打ち解けるような能力があれば、カウンセラーなんざ必要ないわな。
で、改札の向こうにいるのが、そいつなの。カウンセラーのオジサンなの。
要は親が手を回してさ。ウチの子がなんかしらないけど急に、妙なイベントに行くとか言い出したと。ひとりで。3万持って。
そうとしか思えないよね。偶然なんてあるわけないだろう。そのカウンセラーが、一日数本しかない便が着いた改札口に偶然いるなんてこと、あるわきゃあない。
出掛けに感じた予感は当たった。もしも捕まったら、この旅を止められるに違いない。
じゃあどうする?
とっさにどこかに隠れて、改札を通らないって手もあるけど、係の人とかに怪しまれそうだと。あきらかに子供だしね。もっと言えば田舎者の挙動不審さみたいなものも、あっただろうし。
そう思ったから、もうイチかバチか、どっと人が出ていってる流れに紛れ込んでしまおうと。それができるくらい混み合ってる今なら、いけるんじゃないかと。
結果ね、上手くいったの。そのカウンセラーをやりすごせたの。
今にも走り出してしまいたかったけど、逆に見つかるかもと思って必死にこらえて人の流れにくっついていったのを、未だに思い出すよね。ある意味、恐怖体験ですよ。
でもね、まだ関門はあるんだよ。
駅から高速バスの出るバスステーションまでが結構遠くて、そこまで行く路線バスに乗り換えなきゃいけないの。今思えば歩いて行けない距離じゃないんだけど、ほとんどの乗客はその路線バスに乗って行ってた気がする。
そいつがそれに気がついて、追いかけてくる可能性は高いわけ。
捕まれば終わりだから。
せっかく解き放たれたのに、もう一生、一日のほぼほぼを過ごす自宅のベッドに逆戻りだから。
てゆーか、なにこのピンチ。普通に初めてひとり旅ってだけでも、多少なりともハードルあるのにさ。なにこの、意味のわからない状況。なんで、コソコソしなきゃいけないんだっていう。
とりあえず、人混みに紛れ込む作戦、継続だよ。敵に見つからないようにするには、これしかねぇって感じで。
ホントに息を殺してさ。
同じバスに乗る人の列に紛れて座席に座って。さすがにバスの中までは追ってこないだろうとは思ったけど、バスの窓越しに外から見つかるかもしれないってなって。
だから、窓から顔をそむけて身体を丸めてたっけ。バスが出るまでずっと。
祝日だからさ、その当時なにが流行ってたかしらないけど、買い物とか映画とか食事とか、なんかレジャーに行くであろう人たちがいっぱいいたと思うの。
街の空気だってそういう感じで。祝日のちょっと浮かれてる感ってあるでしょう。
みんながみんな、そうだっていうわけじゃないよ。でも、そういう世の中の空気の中で、なんであたしひとりだけ顔を伏せて、見つかることに捕まることに怯えてなきゃならんのよ。
バスが出た瞬間、すごくホッとしたのを、強烈に覚えてる。それもその時だけだったんだけど。
待てよと。
あのカウンセラーを、もとい、もう敵でいいよね。呼び名は。少なくともあたしん中じゃ敵認定だよ。
その敵を向かわせたのは、ウチの親で間違いないと。やつが黒幕だと。
そうすると、こっちが高速バスで都内に向かうのも知ってるよな。もし本気でこの旅を阻止する気なら、その高速バスの乗り場を張ってればいいじゃんと。そっちのほうが簡単だよね。
もうね。目の前が真っ暗になったよね。
情報が筒抜けなんだもん。そりゃあそのころは、一応敵だとは思ってないからさ。言うよね。これこれこういう予定ですって言って、出かけるよね。
そしたらエージェントを送り込んでくるわけでしょう。敵が情報を全部知ってんだもん。高速バスの乗り場をおさえられたら、どうやったって無理じゃんと。
例えば交通手段を変えて、電車かなにかで行く方法もあるにはある。ただ、予算があるから。3万円は当時のあたしの中の貨幣価値で30万だとしても、一般的には3万だからさ。
事前に調べた時は、高速バスで行くと電車とかに比べて、多少なりとも余裕があった。飯だって食うだろうし、かりにもイベントに行くからグッズとか買ったりするじゃない。だから、高速バス以外で向かうってのは厳しい。
しかし、どういうつもりだったんだろうね。止める気でカウンセラーを送り込んできたんだろうか。説得とか制止とか、そういうことだったんだろうか。
目的がわからなくね? 止めるなら出る前にしろよと思うし、ここまで来て止めてどうするのっていう。
カウンセラーがもし、保護者的な感じでさ、子供が高速バスに乗るまで見守る的なことを依頼されてたとしたら、そのあとの方がさ。
事件事故といかないまでも、迷子とかお金を落とすみたいなトラブルがあるとすれば、高速バスで都内に行ったあとの方だろう。
まさか、そのカウンセラーが都内までくっついてくるつもりだったんじゃないだろ。さすがにそれはないと思うのよ。もしそうだったとしたら、その気持ち悪さったらないよ。
じゃあ、なんのためだったのか。どういうつもりだったのか、意味がまったくわからないよね。この後、どんどん距離を置いていくことになるから、その意味を知ることはないんだけども。
カセットプレーヤー
結局どうしたかといえば、とりあえず人の多い街で少し時間を潰して、一番早い高速バスはやりすごすことにしたのね。
事前に調べた高速バスの時刻表では、一番遅いのが深夜発で早朝に都内に着く便だったから、それに乗ろうと。
もともとは都内で一泊して、翌日の16日にイベントに参加する予定にしてたんだけど、どこで泊まるとかまでは話してないし、都内に行ってからは自分でも特に細かく計画を立ててなかったから、そもそもホテルとかの予約は入れてなかったし。
だったら、深夜バスで行っちゃえばいいやと。敵も、さすがにそこまではつきあいきれねぇだろうと。
そこまで決めたら、とりあえず人の多そうなところに行って、雑踏に紛れ込もうということになり。
こっちは土地勘がないからさ。行動範囲だって、歩くかバスに乗るかみたいな感じでたかが知れてるじゃん。
向こうは勝手知ったるエリアかもしれないし、なんなら車だって持ってるんだろうし、どこに行きそうかみたいなアタリも付けてくるだろうと。それに対抗するには、とにかく人混みに紛れてしまえみたいな案しか浮かばなかったんだよね。
そのあとはどこにいても、見られてるんじゃないか。見つからなそうな場所はないか、みたいな感じで、心のどこかにそういうのがあるわけ。見えないなにかにビクビクせざるを得ない。
ひとり旅で羽根を伸ばすとか羽目をはずすとか、全然無理だよね。
かといって、子供だったし知らない場所だったし、あんまり不審がられるような動きをしないほうがいいなってのはわかってたから、ある程度は堂々としていようみたいな。
今思えば、それはそれで逆に挙動不審なんだろうけど。
それで、深夜バスが出るまで、どうにかして時間を潰そうということになり。加えて、都内での宿泊費が浮いて、そのぶん予算的に余裕ができたというのもあり。
とはいえ、旅のまだ始まりの時点なわけで、そんなにグイグイいけない。
今なら入り口のショーケースにずっと置いてある、サンプルのカレーライスの色が褪せてシチューと区別がつかないようなそのへんの定食屋で、瓶ビールをカウンターに何本か生やしてりゃあ、時間なんていつまでも潰せそうなんだけどさ。
そういうわけにもいかないじゃない。明らかに未成年だし。
かといって、ゲーセンとかそっち系にいくと、あきらかに見つかりそうじゃん。警戒アラートは注意レベルに落ちたとはいえ、敵はどこかにいるという意識は抜けてないし、探すとしたら子供の行きそうな場所だろうしね。
で、どこかいい時間つぶしはないかと思ったんだけど、この旅でひとつ欲しいものがあってね。
ウォークマン。
携帯用のカセットプレーヤーが欲しかったの。当時はもうレコードからCDに移り変わってて、CDウォークマン的なものも発売されてたんだけど、外で音楽を聴くのはカセットテープがまだまだ主流だった。
これから移動時間が長いし、バスの中でも電車でも歩いてる時でも音楽が聴けるなんて、最高すぎるじゃない?
昔は、長距離移動ってなったら、文庫本を何冊か持ってきたり、新聞とかマンガ雑誌とかそういうので時間をつぶすしかなかったよね。乗り物酔いする人はとにかく寝るしかなかった。
やることない、というかできることがないの。スマホはおろか、携帯用ゲーム機ですら、あってもゲームウォッチみたいな単純なやつで電池式っていうね。
だから、移動中に音楽が聴けるだけで、相当すごいことだったわけ。
今じゃ当たり前過ぎて考えられないかもしれないけど、少なくとも当時の、深夜ラジオを聴くか音楽を聴くことがほとんどすべてだった自分には、携帯用のカセットプレーヤーって憧れに近いものだったのね。
ただ、やっぱりまだまだ高価だったの。働いてなくて無収入だったってのもあるけど、ソニーの本家ウォークマンとかはサラッと買えないくらい高かったんだよね。
しかし。しかしですよ。
今財布に3万円あるんだもんね。ここまで来るのに多少使ったけど、なんと宿泊費が浮いたぶん余裕があるんだもんね。当時のマイ貨幣価値で30万円の3万円があるんだもんね。
だけど、どこに売ってるのかがわからない。家電量販店に行けばいいのはわかるけど、知らない街でどこにあるのかがわからない。
なんせ、Googleがない、ヤフー検索もないんだから。一番手っ取り早いのは電話ボックスを探して、電話帳をめくることだったんだから。
しかも、電話帳をめくって家電量販店を見つけたところで、それがどこにあるかはその番号に電話して訊くか、電話帳に住所が載ってればそれをメモしてから今度は本屋に行って地図を立ち読みするか、みたいな感じなんだよ。
あとは人に尋ねるか、だけどそりゃ無理ってもんで。
こっちは、ややもすれば敵に見つかるかも知れないとか思ってる上に、普段ほとんどベッドから降りてこない生活なんだから。難易度高いって。
結局、人の多いところに行く作戦もあって、デパートというか百貨店というかそんなところに行って、そこに家電売り場があるだろうということになり。
祝日でがやがやとしたデパートの何階だったか忘れたけど、家電コーナーみたいなところに辿り着いてね。
初めて買ったテープ
あったよ。
あったというか、逆にウォークマンみたいな売れ線のカセットプレーヤーはなかった。記憶ではそう。
メーカーは、確かアイワだったと思うんだけど、携帯用のカセットプレーヤーはそのひとつしか置いてなかった気がする。
もうひとつ大事なことがあって、よしんばカセットプレーヤーを買うとなれば、当然テープが必要じゃない。
旅先で、初めてのひとり旅で想定より予算的な余裕ができて、その場のノリで急にカセットプレーヤーを買うなんて思ってもいないんだから。
当然、テープなんか家から持ってきてないわけ。言葉が通じるかわかんないけどエアチェックして、要は当時よく聴いてたラジオ放送で流れてる音楽を録りためたカセットテープを持ってきてないわけ。
だからカセットプレーヤーを買うなら、音源のテープも買わないといけない。
このころはもうCDがメインになりつつあったけど、レコード店もその名の通りレコードやカセットテープをまだまだ取り扱ってたし、大手のレーベルもアーティストが曲を出すってなったら、CDやレコードの他にカセットテープでも音源を発売してたのね。
で。
買っちゃったよ。買いましたよ。
確か8千円くらい払ったような気がする。それがカセットテープとプレーヤーの総額だったか、プレーヤー単体でその額だったのか、それとも8千円が記憶違いなのかもう定かじゃないんだけども。
アイワの、家で使ういわゆるカセットデッキからカセットテープを入れる部分だけ切り取ったような、スタイリッシュなウォークマンに比べると、かなり大きくてゴツい感じのやつだった気がする。
それにカセットテープを2本。
2本だよ。これから都内まで行くんだろ? 無駄遣いしすぎじゃないの?
散々迷って買ったのは、「夜を往け」というアルバムと、これはディスコグラフィを見ても該当するのが見つからないんだけど、シングル曲を集めたっぽい構成のベストアルバム的なもの。
中島みゆきの、テープを2本。たぶん、初めて買った音源ってこれだと思う。だからこの日は初めてづくしなんですよ。
買っちゃったもんね。買っちゃったよねぇ。旅に出て、買っちゃったよね。こんなの買っちゃったもんね。
あと、電池を山ほど買って。
今思えば、3万しかないってのに、よくそんなに買い物するよね。大人だったらカード持ってたり、銀行に多少はあったりさ、なんとかなる手段があるだろうけど、これ全財産だぜ?
まああれか、よく考えれば今でもそんな感じか。むしろ、この時からこんな感じか。
で、買ったそばからそのへんのベンチでカセットプレーヤーを開けて、付属のイヤフォンで早速聴きはじめてね。このあと、アルバム2枚をずっと繰り返し聴いてることになるんだけど。
あと長い。現時点で8千文字もありますよ。まだ初日の話だよ。しかもこれでも端折ってっからね。
深夜、行き場をなくす
でね。
このあと、どこでどうしたかハッキリとしないんだけど、雨になったと思う。記憶にあるのは2日とも、しとしとと雨が降ってた気がする。だから傘も買ったと思うんだ。これは記憶違いで、都内だけ雨だったかもしれない。
夜も遅くなると、店も閉まっていくわけです。
当時、今よりはおおらかな時代だったけれど、いくら大きな街だからって未成年が遅くまで入れるような店ってそんなになかったんじゃないかな。
こっちも、土地勘がないし見つかっちゃいけないっていうビビリと、件の敵以外にも例えば補導されたりさ、悪いことはなんにもしてないけどそういうビビリもあるから。
だから、徐々に行き場がなくなっていくんだよ。
あのさ、初めてのひとり旅ってのは、普通もっと楽しい思い出とかあるもんじゃないの?
隠れたり潜んだり行き場がなくなったりさ、なんなのスパイなの?
そういえば急に思い出したけど、飯も食わなかった記憶がある。食わなかったというか、食べたいって気にならなかったんだよね。なんかずっとふわふわしてて。ちょっとトリップ気味で。
初めての旅でさ。音楽をずっと聴き続けながら、行くところがなくて夜を彷徨ってるその感じにやられてて、ご飯とかいいやってことだったんだと思う。
この旅の二日間で、なにか食べたっていう記憶がない。
ただ実際にまったくの飲まず食わずってわけじゃなくて、覚えてないだけで。
この夜、深夜営業の喫茶店に入ってるからね。
さっき書いたように、行ける場所がなくなっていくわけ。長居できる飯屋も知らないし、そんなに食いたくもない。買い物系の店もどんどん閉まってく。
じゃあもうさ、仕方ないから、高速バスが出るバスターミナルに行くしかないなと。
危険は残ってるよ。バスが発車するターミナルを抑えてれば、捕まえるならそうすりゃいいんだから。
だから、まずは遠目にターミナルの周辺を確認して。立ち止まってる人とか、停まりっぱなしの車とかをチェックして。徐々に近づいていってね。
遅い時間だから、人はもうまばらになってて、そんなところに普通に入っていったらすぐ見つかるから。また見えない敵との戦いですよ。謎の戦い。
で、それっぽい人はいないんじゃないか。でも、ここから出るバスは、乗る予定の高速バス以外にも循環バスとか方面が違うとかで、ある程度は出入りしてるしそれに乗る客も流動してる状況でね。
だからここまで身を守ってきた、人混みに紛れる作戦はもう無理がある。
じゃあどうしようって時に、そのバスステーションに隣接してる感じで、喫茶店がやってるのを見つけたのね。
看板が出てるから営業してると思うんだ。白くて四角いコーヒーの絵が書いてある看板だった気がする。喫茶店の入り口によく置いてある、閉店時には店の中に仕舞うタイプのやつ。あれあれ。
バスステーションを見下ろせるようなかたちで、二階に喫茶店があって、窓から灯りものぞいてる。
あ、ここでコーヒーの一杯も飲んで時間を潰せそうだなと。しかもバスステーションが一望できるから、誰かあやしい人影があるかないか監視できるじゃないかと。
でも待てよ。もしその敵がこの時間までいるんなら、その喫茶店にいるよね。絶好のポジションだもんね。
とりあえず窓側に人影はなさそう。なさそうだけど、ここがあやしいとなったら、入るのに度胸がいるわけ。ただでさえ、補導とか面倒なことは嫌だなと思ってるのにさ、それ以外にもなにかに怯え続けてるんだから。
でも、もうここ以外に居る場所がないと。
繁華街には行けないし、かといって紛れていられる場所もないと。もう、浮いてはぐれて彷徨い果てて、唯一止まれそうな宿り木はここしかないみたいな、切実な思いですよ。
意を決して。でもごく自然な感じで喫茶店のドアを開けて。
チリーンって音をたてるそのドアの向こうに、店員さん以外にひと組かふた組のお客さんがいて、そのどちらも知らない顔だった時のホッとした感じ。
今でも忘れないよね。なんだかもう、よくわからない心の動きなんだけど。
なにを飲んだかなにを食べたかは、もう記憶のどこにもないけど、窓際の席に座ってバスが来る時間まで、そこで過ごしてた。喫茶店の暗い橙色の照明のイメージだけが、かすかに思い出せるだけ。
夜行
やがて、バスの時間が近づいてきて。
ここが最後の関門、のはずだなと。最終の都内行きってだけあって、喫茶店の窓際の席から見てるとそれまでのバスより客が多い感じがする。
逆に言えば、旅仕度した乗客らしき人だけが乗り場に並んでて、他に人影は見当たらない。そりゃそうだ、そろそろ9月15日は終わろうとしてる時間だもの。薄暗い照明に浮かぶ時計の針が見えるもの。
隠れていた喫茶店を出て、客の列の一番うしろにくっついてからしばらくして、遠くから妙に大きく見えるバスが滑り込んできてね。
早く乗ってしまいたい、そうすればもう誰にも制止されない。それだけを願ってたな。そして、ドアは閉まった。旅がようやく始まった気がした。
そこからは、夜を走り続けるバスの中で、ずっと歌を聴き続けてて。寝ないで。眠いとも思わなかったの。都内に着いて、早い時間帯の電車に乗って目的地近くまで行ったような気もするけど、細かい部分は覚えてないんです。
だからあれだ、二日間ほぼ寝ずに飯もろくに食わずに、旅をしてたよね。バスに乗って以降はずっとふわふわしてたんだと思う。
記憶もかすれてしまったけれど、雨の都内を歩き回ってる間も、イベント会場で並んでる間もずっと歌を聴き続けてたな。もうずっと。
街に紛れ込んで人の流れを見て知らない佇まいを眺めて、そこで生きてる人とすれ違って。
まぼろしのような時だったけど、確かにそこに居られたというか現実とは間違いなくリンクしつつ、でもいつか居なくなる者としてそこに在ったみたいなね。
帰りの記憶はほとんどなくて、どうやって帰ったのか、あるいは今も帰っていないのか、我が身ながら定かじゃないけれど、確かなのは9月15日と16日ってのはあたしにとって特別な日になったってことなんです。
あの日、たぶんもう一度生まれてしまった、旅するものとしてのあたしはね、これを書いてる今でも旅の途中で、旅立つ支度の真っ最中でもあるってのは、なんかこう後ろめたくもあり、こっ恥ずかしくもあり。
そうせざるを得ない揺るぎなさ、みたいなものも持っちゃってんですよね。