ゴールデンウィーク中に東北一周を目指しつつも、ゆるい感じで続く旅は2日目の夜を迎えています。場所は宮城県の道の駅おおさと。今夜はここで夜を明かすこととなりそうです。
道の駅でお買い物
辿り着いた道の駅は、小規模ながらそれゆえに混雑しすぎることもない気配がします。
それでいて徒歩で行ける範囲内にコンビニやドラッグストア、スーパーマーケットが営業していて、寄る辺なき旅の途上にある者が身を寄せる場所としてはありがたい存在でした。
着いたのは夕方17時ころでしたから、まだ営業していたので館内を見物したりトイレの位置などを確認したり。
ゆるキャラ感満点のゆるキャラがいた |
一応、東北一周ってのは自分の中で継続中な目標というか、唯一すがっているものですから。それだけが頼りって部分もありますからね。
なので、まだ福島を通過して宮城に入ったところ、二県目にしてお土産的なものを買っちゃうと、日中は温度の上がりやすい車の中に置いておくのもどうかなと思っちゃうんです。食べ物とかは傷んじゃうんじゃないかと。
道の駅ですから、お土産になりそうなものばかり、たくさん並んでるわけ。地場の野菜とか、海も近いから海産物とかもあるけれど、名産とかもあるんですよ。
で、迷った結果、喜久福っていう、冷凍されたひと口大のお餅の中にあんことかのクリーム系が入ったお菓子を買いましてね。
ひと口大といっても冷凍されてるので、いきなりパクっといくのはアレなんですけど、ちょっと溶けたころにいただいてみました。確かノーマルのあんが入ってるものと、ずんだと二種類買ったと思います。
これ、けっこういいものですね。
いくつか入った、それこそお土産向きな箱詰めのものもありましたが、一個単位でも売ってて試しに買うのにもちょうどよかったのも好印象でした。
スーパーマーケットでもお買い物
その後、今夜の食事を確保すべく、徒歩でスーパーまで。そろそろ陽も暮れそうという時間帯で、そこそこ風もある中をひたひた歩いていきます。
小さい店内ながらほどほどにお客さんのいる店内は、道の駅に来たお客さんがここに流れてくるってこともなさそうな、ホントにこのあたりに住んでる人を相手にしている感でいっぱいなわけですよ。
そこになんで居るんだろう。
そもそもなんでここまで来たんだっけ。
来たくて来たくせに、来た理由も動機もほぼほぼありゃしないっていう。
そのくせ、毎度どうもくらいの感じで買い物カゴぶらさげて、今日はなににしようかしらんって顔をしてるんだからね。なんだかよくわからないことになってんなと。
ともかく、おなかへったし。さっき喜久福たべたけれども。それには逆らえないからさ。
やっぱり太平洋に近い街に来たわけですし、お刺し身なんかがいいんじゃないのということで、売れ残っている中からアジのお造りと、中華系のお惣菜を手にレジに並んでおきます。
この時の刺し身もお惣菜も美味かったなぁ。なんだろうね。当たりしか引いてないよ。この旅の食事も泊まるところも、まだハズレを掴まされてないんだよね。
いや、いいんですよ。話のネタに困るとか、そういうのはいいから。ハズレ引きたいわけじゃないからね。美味い飯食いたいよ、そりゃあ。
道の駅に戻るころには、もうあたりも暗くなり始めていましたから、目立たない位置に車を停め直してお泊り仕様に車内をセッティングして、そのまま就寝したと思います。
寒い夜を越えて、何処へ
翌朝。
けっこう寒いなと思いつつ、どうにか朝までこぎつけたのは幸いなんですが、事前に週間天気予報でざっと気温を見た限りではタオルケットとそれなりの服装で充分乗り切れると踏んでいたんですよね。
それがその時どこの気温を見ていたのか、現地に来てみて街頭の電光掲示板などの気温を確認すると、思ってたのより明らかに低めな温度を指してる事が多いの。
日中は陽射しがあって長袖のTシャツでいいものの、朝晩は冷えるんです。タオルケットでも確かになんとかなるけれども、さすがに寒く感じるのは間違いないと。
これは寝袋を持ってこなかったのは失敗だったかもしれないなと思い始めます。
逆に冬用のパーカーを持ってきていたのはいいチョイスで、5時くらいにはもう明るくなる空に合わせて自然と目が覚めてしまう車中泊では、午前中くらいはそれを着て行動する毎日でした。
夜を過ごすのにあたって、なにか考えないといけないなぁと思いつつ、乗り切れちゃったものはとりあえずいいや、となるのは、あたしの悪い癖でもありまして。
てゆーか、それくらいの気持ちじゃないとやってらんないんだって、旅暮らしなんて。ひとまずその日を乗り切るってことが大事なんだから。
ともかく、この旅の途中で4月から5月に月日が進みました。この年のゴールデンウィークは5月1日と2日が平日ですが、勤めている会社的にはそこは休んでいいよとなっておりまして、この長旅を続けていられる次第です。
じゃあ明けて5月1日は何処へ行こうかとなるわけですが、ここで行き先についてけっこう悩んだ記憶があるんです。
海か山か
今いる道の駅は、かの有名な松島に近く、そっちへ行ってみたいというのが第一感としてありました。
松島から石巻、南三陸、気仙沼と、太平洋沿いに北上していくのは東北一周という漠然とした旅を思い描いていた出発前の時から、すでにイメージとしてあった気もします。
それと同時にそっちに行っていいものか、といった思いもどこかにはあったんです。
その地は、もう10年以上経過した震災による津波の被災地でもあります。
もう10年、されどたった10年。
ただただいたずらに、自分の思いのみで旅をしている余所者が行っていい地域なのかという気持ちがあったんですよね。
それは前回も書いたように前年に南相馬へ仕事で行って、未だ大きく残るダメージを肌で感じてしまったことも大きく影響しています。
それ以上に、自分の旅の仕方が、観光地へ行ってきゃっきゃするタイプではなく、自分が異星人だと知りつつもその土地に紛れ込んだらどうなるんだろう、というような性質を帯びているからなような気がするんです。
根付こうと思ってもそうはなれないのならいっそ、風のように流れて流れてその中で見たり聞いたり思ったりすればいいんだと思いつつ、やはりどこか軽々には触れられないだろう、ってのも気持ちとしてはやっぱりあるんですよ。
それなら、海沿いではなく内陸を北上して岩手県の一関や花巻などへ行ってみるのも手だなと。
ちょうど今いる道の駅は、宮城県から岩手県に北上するにあたって、内陸側と太平洋側の分岐点のような位置関係にあって、それで相当迷ったんです。
迷ったよ。あたしゃ迷いましたよ。
いっそのこと、持ってたボールペンを地面に立てて、倒れた方に行こうかなと思うくらいは迷ったよ。
結果ね。
松島へ行こうと。
第一感を信じようと。それが自分のこころもちに沿う道じゃないかと。
迷ったら自分の本心に沿おうと。
病に振り回される
それでさ、観光地じゃないですか。松島って有名な観光地じゃないですか。
松尾芭蕉が、
松島や
ああ松島や
松島や
なんてね。
詠んでないらしいですね。後世の創作らしいんですけど、その句は。
要は、松尾芭蕉たるものが、気の利いた俳句のひとつも出てこないくらいの絶景だったっていうことで、小学生でも作れるような句になったんだよっていうことを言いたかったと。
そんな、なんでそんなことになったのかよくわからない、謎エピソードがあるくらい有名な観光地なわけですよ。日本三景のひとつなんですから。
そこへね、のこのこと昼間に出かけていったら、混雑嫌いなあたしとしては落ち着いて見て回るなんてのは無理だって。
だからまだ朝早い、今の時間に向かっちゃえということになり。記録を見ると6時前には出発したことになっています。
道の駅おおしまから松島ってすぐなんですよね。思ったより近くて。
車でちょいと走るともう海が見えてきて。
で、松島の中心部というか、日本三景に数えられてテレビとか雑誌で特集されて目にしたことくらいはあるあのあたりって、やっぱり観光地なんです。気配が違う。街の並びとかもう観光地然としてるの。
こっちはそういうのを、避けて今まで来ちゃってるからさ。旅を続けてこのかた、観光地然としたところに行ってねぇから。慣れてないんだ、この空気感に。
気温ひと桁で寒い早朝、よって人もほとんどいない、あたし的には有名な観光地を見て歩くにはこのタイミングしかないっていう時間帯に来ておいてなお、足が止まらないの。
大きめな通り沿いは、土産物屋や観光案内や食事処やらが幅を利かせている、どこから見たって観光地観光地した風景なんです。デュランデュランですよ。プリンセスプリンセスですよ。
それが、朝の6時ということでまだそれらが全部閉まっていることで逆に違和感がすごいというか。
店じまいしてる観光地ってなんかちょっと寂しさオーラが出ちゃってるじゃない。あの感じがすごいの。
そして車を停めておく場所が見つからない、見つけても有料駐車場しかない、みたいなことで着地する場所を見つけられないわけ。
冷静に考えれば、そんなの当然というかさ。どっかの駐車場に所定の料金を払って停めりゃあいいだけのことなの。過去に色々と旅をしてきて、観光地でそうしたことも普通にあったし、今回もそうすればいいだけの話なんです。
だけど、そうならない。ピンとこない。腑に落ちない。呼ばれてない気がしてならないんです。
だからふわーっと、ここが松島かと思いながら、通過するしかないっていう。
これってこの時の巡り合わせとしか言いようがないなにかで、旅をしているといつもこういうものに惹かれたり突っぱねられたりしてきたんですよね。
観光客がいないであろう時間帯を見計らって来てるんですよ。そしてまんまと誰もいないのに。
こっちは景色が見れたらそれでいいわけで、朝早いとかも関係ないはずなんです。
それなのに止まる気配がない。足を止める気が起こらない。
なんなんですかね。自分でもまったく理解できないけど、ともかくそのまま松島を過ぎちゃいまして。
ああ、ダメだったんだなぁって。
謎の緑地帯へ
それでも、無意識に抵抗してたんだなと思うのはね。
なににかって、自分にですよ。自分が。しかも無意識のうちに。
もうなに言ってるかわかんないと思いますよ。読んでる人はサッパリでしょうけど。
あたしゃこういうヤツですから。そのまんま書くしかないから。
今日は出発から、前回書いたスマホアプリのナビを起動させていまして。
マップが画面に映ってるんです。
松島の中心街を通り過ぎた、すぐあとくらいですかね。マップの中で、海岸沿いに公園らしき緑の一帯があるのが目に止まりまして。
運転中だから凝視するわけにもいかないんだけど、これ多分公園だよな、そっちに行けばなんかありそうじゃね?
なにか突破口を探してたんだと思うんです。かの松島まで来ておいて、そのままスルーしていいのかっていう。
その地図上で表示されてる緑の一帯がなんなのか、全然わかってないんです。そもそもリサーチなんてほぼしていないんですから。
公園なのか防砂林的なものなのか、それとも単なる林なのか、マップ上ではよくわからない場所だけど、なんかそっちだなっていうことのみでハンドルを切って進んでいくの。
これね、もしも誰かと行動してたらこんなふうになってないと思うんですよね。
計画立ててプラン通りに旅をして、営業時間中に松島を訪れて。観光船なのかなんなのかすら知らないけど、そういうのに乗ったりしてちゃんと松島を見てさ。
楽しかったねすごかったねで、ちゃんといい思い出になっていくと思うんです。
それはもちろんいいことですよ。むしろ、絶対そっちの方が正しいんだって。
でも、いま迷い込もうとしてる謎の緑地帯には、多分行けてないと思うの。
どっちがいいかなんて知らないよ。今は迷い込んでる最中なんだもん。遭難してるんだもん。
後で調べたら、手樽という地域のようで、海岸沿いにちょっとした公園があるんです。
だだっ広い駐車場とちょっとしたお店があって、もちろん営業時間外もいいところで、人なんかほとんどいない場所でした。
散歩とかランニングの人がいなくはなかったんですけど、無人に近いその公園はやたら居心地がいいというか。
なんなんですかね、この感じ。
さっきまで全然だったのに、ここには居られるっていうこの感じ。
こんなの説明できないよね。病気だよ。病気だと思うよ。自分の主治医としては。セルフ主治医からは以上です。
海に呼ばれて
そこを出発して、途中のコンビニで朝ごはんを食べたりしつつ、石巻へは8時ごろ着いたんですけど、ここでもその変な病気が出て。
石ノ森章太郎記念館みたいなところも行ってみたいと思いつつ、街中にサイボーグ009のワンシーンがノボリでもないけど街頭に吊り下げてあったりして、心は惹かれてるんだけど足は止まんないっていう、奇病がでて。
ホントに行きたいんだよ。次は行こうと思ってるし。
でも、実際近くまで行っておいて気が向かないっていう。誰に言ってもわかんないよね、こんなの。奇病だ。診断不要だろ、こんなの。
で、石巻を抜けて女川も抜けて、海岸線に沿ったり離れたりしながら一応は北上を続けてるような状態がしばらく続いてたんですけどね。
海水浴場というか、公園でもないけどバーベキューとかができるような、そんな場所を見かけまして。
すーっと呼ばれるように入っていきましてね。海かな。それともカモメかな。呼んだ? っていう。
もう慣れた? 読んでて慣れたよね。
日本三景をスルーで、知らねぇ海水浴場には寄るんですよ。理由なんかないんだよ。寄るってんだから。呼んでんだから。
もちろん誰もいないの。
まだ10時前だけど、海水浴には時期が早すぎるし、そのバーベキューするような場所も、シーズン前なのかだーれもいないわけ。
駐車場にポツンと車を停めて、どうやらトイレもありそうだしお借りすることにして歩いていったんですけどね。
そこは白浜ビーチパークというようでね。
借りたトイレにチラシが貼ってあって、読んでみると日帰りでバーベキューができたりデイキャンプみたいなことができるっぽいんだけど、どうやらシーズン前というかこれからそういう設備や場所を整えて提供していきますよっていうことらしい。
そりゃそうだよね、間に合ってりゃゴールデンウィークに営業するもんね。
だから、だーれもいないの。かといって立ち入り禁止ってわけでもなさそうで。
で、海水浴場だから、海のそばまで歩いていけるんだけど。
もうね。ここが気に入っちゃって。
晴れてるから気温も上がってきて、海風もあってさ。波の音がして。人よりカモメのほうが多いしさ。
もう、ちょうどいい感じなわけ。
釣り人、ひとり |
多分ですよ。こんなこと書くこともないけど。
多分、海水浴シーズンだったら絶対立ち寄らないと思うの。
もしも、そのデイキャンプだかバーベキューだかが始まったら、間違いなく寄らなかったと思うの。
そこはもうさ、あたしの居るところじゃないじゃん。水着着てきゃっきゃしたい人が居るべき場所じゃん。家族連れとかさ、若い子たちとかさ、そういう人たちのものじゃないですか。
この地域をまた旅することがあっても、多分ここにはもう寄ることはないと思うよね。
真冬かな。真冬だったら寄るかもな。
だからやっぱり、この時に辿り着いて、呼ばれてよかったなって思うんです。
波の跡、人の跡
このあともしばらく海沿いを走ることになるんですけどね。
東日本大震災の津波で、ここまで浸水したよっていう標識というか看板が至る所にあるんです。正確には、過去、津波があってその時はここまで浸水したよと。未来の誰かに向けて書いてある感じで。
この白浜ビーチパークも、巨大な堤防の向こう側に海水浴場があって、それを挟んで陸側にビーチパークのパーク部分が新しく作られているようなんです。
それがね。その堤防が。
人間ってこんな建造物を作れるんだっていうくらい、津波に負けねぇぞっていう意志しか感じないくらいの、堤防って言っていいのかすらちょっと迷うようなモノがドーンと作られてるの。
ただただすごいものが出来てるなと。
でも、自然ってそれすらも超えてくるじゃない。人間のやることなんて、軽々超えてくるじゃないですか。
それでもここでやってくんだっていう。意志みたいなもの。
自然と人との、そのせめぎあいもそうだし、過去になにかあってもそこに根付いていく感じもそうだし、今はただただ穏やかな初夏の海も空も風もそうなんだけど。
それらに対してやっぱり心が動くっていうか。
今はだーれもいないから。
なにひとつ歴史とか物語を語って聞かせてくれるってことはないんだけど、人が語るモノ以上に、なにか見えるし聞こえるし、少なくともそんな気になるっていうかね。
もうひとつ目を引いたのは、その真新しいビーチパークの裏側に位置する場所に、小屋というかなにかを祀ってある小さな建物があって。
よく見ると、その周囲に元々はそこに建っていたであろう鳥居とか石碑とかが、おそらく津波で壊されたまま残されているのね。
そこには昭和8年に作られたらしき石碑が建ってて、その当時地震があったのか津波に用心せよ的な一文が彫ってあったりするんだ。
でも、その鳥居なんかは壊されたままになってて、おそらく津波で散在したものを集めてはあるものの、未だ復元はされない様子なの。
かたやそのすぐそばに、新しい海水浴場とかアウトドアな遊びができるスポットが作られてたりしてて。
色々事情があるんでしょう。そんなの、通りすがりのこっちには汲み取れないし、なにか口出しするようなもんじゃないじゃない。
でもその対比はさ、なにかやっぱり自分の中でズルっと動くものがあるのは、止めようがないっていうか。いいとか悪いとか正しい間違いとかそういうことを言いたいんじゃなくてね。
だからなにか、わかんないけど、そこにはしばらく居たんですよね。ただただ、太陽と潮風を浴びながら。ただただ。
旅を続ける人々は
その日は、そんな感じで海沿いをゆっくり北上しながら、途中で見つけたスーパー銭湯に入ったりしつつスローペースで過ごしちゃいまして。
午後からは体調もちょっとよくなかったりして、動かずにじっとしてたりもしたんですから。
旅の初めに思っていた、暗くなったら道の駅に行って早めに休む、みたいなこともちょっとできずにいたんですけどね。
スーパーの営業時間も過ぎちゃって、その日はコンビニでおにぎりとかを食べた気がします。
それから、今日を越せそうな場所を選び取って身体を落ち着けたのは、日付が変わりそうなころだったと思います。
旅はまだ続けていられるようです。