THE YELLOW MONKEYのニューアルバム「Sparkle X」を聴いて

2024年6月2日日曜日

#音楽

t f B! P L

 聴きました。

 THE YELLOW MONKEYのニューアルバムであるところの「Sparkle X」。聴いちゃったよね。聴いちゃったんです。

 そりゃ発売されてますし、今どきはサブスクってやつで月額おいくらか払えば、CDを買わなくても聴けたりもする時代ですから。聴けますよ。誰もが聴けます。

 アルバムの中の曲のいくつかはミュージックビデオとしてYouTubeで無料で見られますし、そのへんは興味を持った方は調べてもらえればいいと思うんですけど。

再出発感

 結果ね。

 聴いた感想っていうか、思ったことなんですけど。

 再生とか再出発ってことが、やっぱり含まれてくるんだと。

 その、テーマとしてどうのっていうより、THE YELLOW MONKEYというバンドの歴史、ヒストリーの中でこの2024年の現在地は再出発みたいな位置にあるんだろうなっていう。

 で、それは聴いた人の中でも、今だったり昔だったりこれからそういう時代がある人には、より響くんじゃないかなって思ったんです。

 

 THE YELLOW MONKEYのメンバーみんな50代を越えてて、ベースのヒーセなんか還暦迎えててなおロックンローラーだぜっていうのって、あたしくらいの世代だとそんなことある? っていう感覚だったと思うんですよ。

 今はまったくそんなことないんですけど、例えば70年代80年代とかでロックとかパンクとかがあって、それらは若者の文化だったわけです。

 どっちかというと、社会とか世間みたいなものからはちょっと外れちゃってる、そういうものにはちょっと斜に構えたり背を向けてるタイプの人達がロック最高ってなってたと思うのね。

 だから、若者のムーブメントなんだから、ロックンローラーとかってジジイになってもやるもんじゃないっていうか。

 歳くってるやつはそういう音楽をやってなかったんですよね。昔はね。

 どっちかというと、歳くってる人は演歌とかさそういう時代だったっていうか、住み分けじゃないけどイメージとしてはそうだったんじゃないかな。

 でも今はさ、ローリング・ストーンズだってもう相当な歳じゃんっていう。

 70年代80年代90年代を若者として生きて、ロックスターになった人達も、バリバリ現役で2024年に活躍してたりするわけ。

 要は年齢じゃないんだなっていうか。

 歳くったからやめるってもんでもないっていう。魂がそっちにあるならずっとやってていいんだなっていうさ。

 でも、そうやって何十年も生きて、現役を張り続けてるとやっぱり病気をしたりとかそういうのもあると。

 みんなそうでしょう。

 ミュージシャンに限らず、みんなそうじゃない。長く生きてりゃ、不調や不都合のひとつもあるわな。

 そこから、また出発するんだっていうことがアルバムの曲たちのいたるところに流れていると思ったのね。

 そしてきっと、なにかの出来事で一旦動けなくなったことのある人が聴くと、なにかどこかくるものがあるんじゃないかなと思ったんです。

 平均年齢が58歳っていうバンドが、終結ではなく再出発を歌う奏でるってすごくないかっていう。

ルーツと今と

 その再出発みたいなものは歌とか歌詞だけじゃなくて、音にも現れていると思ってて。

 このアルバムって、THE YELLOW MONKEYの初期の頃の「風味」みたいなものもあったり、もっと遡ったルーツへ回帰してる気配があるんじゃないかなと。

 で、それを現在の自分で解釈したり表現したりすると新しいものが乗っかったり混ざったりする、そういうテイストの音になってると思ったんですよね。

 

 例えば、若い頃に覚えた料理。なんでもいいんだけど、じゃあ肉じゃがだとしましょうよ。

 それも、その家の味、みたいなものじゃなく、自分でこれがいいんだ、この調味料をこう混ぜて普通はあんまり使わないけどこの食材を入れて、この時間煮込むとマジで美味いんだと、自分で辿り着いたものだとするじゃないですか。

 でも、それに辿り着くまでには、自分ちのばあちゃんが作った昔ながらの味付けのやつがあって、彼氏でもいいし彼女でもいいんだけど初めて作ってもらったやつがあって、もしくは美味いと評判の居酒屋で食ったやつがあってのものなわけです。

 色んなものを経て経て経ての、これだってのを確立したと。若い頃にね。これぞマイ肉じゃがだと。

 そして、20年後。

 これはね、今20歳の人には伝わるかはわからないと思う。わからないと思うけど、いつかそういうことかと思ってもらえると信じて書きますけどね。

 変わってくるんだ。好みとか。

 でも、ルーツはここだと。この時自分で確立したもの、今の例えだと肉じゃがね。

 それをその時の味付けで今現在、2024年にそのまま食うんじゃなく、ちょっとアレンジしたいなってなるの。

 もちろん、あの時のマイ肉じゃがは今でも素晴らしいと思う。思うけど、今の自分に合うのはここをちょっと変えてこんな材料を入れたり味付けをこういうふうにする。それが、今のスタイルというか。しっくりくる、新鮮味もあって楽しいみたいなこと。

 ニューアルバム「Sparkle X」はそういうのを感じるんです。今までのものと今いいと思うものが混ざって出来てるアルバムというか。

 音も歌も、そんな再出発感がある曲がたくさんあるっていうのが、なんかこうフイットするんですよね。

さくら


曲を聴くのが一番いいのはわかってるのに誰かにあなたに話したいんだよ

 この世の中のこと、趣味趣向、主義主張のほとんどがそうなんだけどさ。

 わからないものはわからないじゃないですか。

 世間で流行ってたって、刺さらないものは刺さらないっていう。

 基本、流行り物があたしに刺さったことはないし、もともと好きなものが流行ったことはあっても、逆はほとんどないんです。

 幼い頃はそういうことすらわからなくて、自分がいいなと思ったものは気の合う奴ならわかってもらえるだろうと思ってた時期もあったんだけど、どうやらそうじゃないんだなってなって。

 だから、このブログでTHE YELLOW MONKEY最高だぜって延々とやっても、あんまりなんだろうなってのはわかってるのね。

 そもそも、曲を聴く以上にかなう行為はないからさ。どんなに言葉を連ねても、聴いてみていいなってなる以上のものをあたしが引き出せるとは思わないから。

 だけど、なにか書きたいなってなってるのは、ずっと音楽に影響を受けて、それを血肉になるまで聴いて、自分の中に取り込んだものを自分の風味を加えてアウトプットしてきたからなんだと思うのね。

 今、新しいアルバムを、音源を聴いて、それ自体はまだ血肉になってないけど、とりあえずすいませんおかわりーってなってる状態なんです。この肉じゃがマジ美味いと。おかわりーって。

 だって、人それぞれ、幼少期に食った家庭の味なのか通いつめた定食屋で覚えたやつなのか、各々のルーツがあって影響を受けてて、真似をしたりリスペクトやらオマージュやらをしていって自分のものになってくるんでしょ。

 わかんないけど、昼は定食屋で夜は居酒屋みたいになる。あるでしょう、そういう店が。古い路地裏にあるさ。「味の店 どどんぱ」でさ。

 初代女将のババアが作ったやたらグリンピースが入ってる肉じゃがを、近所だからっていう理由だけで食って育ったとしたらね。

 ババアオマージュの肉じゃがを家で再現してみたりして。

 二代目の息子になったら味が落ちたとか言っちゃってさ。実はババアがまだ作ってるっていうのも知らず。

 その程度の味覚でも、自分の中ではどっかこう思い出補正とか懐古主義みたいなものも込みだとしても、そういうヒストリーもありでひとつのカタチになってて。

 それを色んな方向でアウトプットしていくんだと思うんです。直接口コミサイトで語る人もいるかもしれないし、それに合う酒を探してくるのかもしれないし、仕事とかスポーツとかでの成績に変えちゃうのかもしれないし、もっと全く別のやり方かもしれないし。

 だから、料理に例えてるけど、美味いもん食ったからいいねを押すみたいなことの延長線上にあるのと一緒かもしれないのね。

 このブログを書く原動力というか、なんか言わずにいられない感じっていう。いいもんあったから、みんなもどう? っていう。

 そして、料理と絶対的に違うのは、空気感というかなんかいいよねっていうのが音楽っていうものじゃないですか。

 ハッキリした優劣とかじゃない、世界観とかリズムとか、ちょっとした秒にも満たない音の混ざり具合がなんかいいっていう。

 心地いい、刺激的、楽しい、なんでもいいんだけど、ロジックとかじゃない、でもきっと作ってる人は計算してる部分もあるのかなと思える混ざり具合だったり。

 だからその、よかったらどうぞ以上に言えることがなくて、その一行でいいし、なんなら味の店どどんぱとか出さなくていいんだけど、そこはあたしのアウトプットの限界っていうかさ。

 どどんぱ経由でないとTHE YELLOW MONKEYの良さが伝えられないってどういうことだと思うよ。思うけど、出てきちゃったものはしょうがねぇじゃねぇか。二代目だって真面目にやってんだよ。町内会費もちゃんと払ってんだぞ。食べログで2.6とか冗談じゃねぇよ。


 なんだこれ。こんな内容になる予定じゃなかったんだけど。

 なにこれ。まあいいや。そんなだよ。今も聴いてるんだ。そんなだよ。

QooQ