その中でも1992年発売のドラゴンクエスト5を最近あらためて遊んでいて、その時に思った事を。ゲーム的なお話はまったくしないと思います。
旅って、いつでも誰でもできるものだと思っています。
ただし例外はあって、身体の問題だったり他にも理由があって、そんなことは無理だ、というかたがいるのもよくわかっています。
子供もそうかもしれません。
右も左もわからない小さな子じゃなくても旅はできますが、それは誰かと一緒だったりするからですよね。子供がひとりで遠くへ行ったら、家出になっちゃいます。
旅ができないのに、旅がしたいという気持ち。
これも誰にでも訪れるものでしょう。漠然となのか焦がれるほどになのかはともかく、旅に出たい気持ちは現実化できるかどうかにかかわらず芽生えるものじゃないかなと。
そういう時に空想上で旅に出る。その手段のひとつがゲームでした。でしたと過去形で書くのは、私の子供のころがそうだったからです。
ドラゴンクエスト5
ドラゴンクエストシリーズの5作目としてスーパーファミコンのソフトとして発売された、「ドラゴンクエスト5」。
初代「ドラゴンクエスト」はひとり旅でしたが、3人パーティとなった「2」。
職業を選べて自由度の高い「3」。ストーリー性の高くなった名作「4」と、順に遊んできたものですから、ファミコンからスーパーファミコンへハードを移した「5」も当然のように遊んだものです。
PSやDSなど他のハードに移植も行われていて、私が最近遊んでいるのはスマートフォン版になります。
当時はドラゴンクエストと言えばゲームをする子供たちの中では外すことのできないゲームタイトルでした。ファイナルファンタジーや女神転生などのライバルソフトも多くなり、派閥みたいなものはあったものの、プレイした人口は相当なものでしょうね。
ドラゴンクエスト5は、親から孫までの3世代にまたがるお話で、主人公である自分はその真ん中。年端もいかない子供時代から成長した青年期までの、ゲーム内時間でおよそ30年分のストーリーになります。
主人公が子供時代は父親とともに旅をしたり、幼なじみと一緒にお化け退治をします。
青年時代は仲間やなついたモンスターとともに、父の遺言を胸にしながら子供のころに住んでいたあたりから始まって世界各地を放浪。その旅の途中で幼なじみ、あるいは一目惚れに近い形で名士の娘と結婚。
旅を続ける中で父と自分の出自に辿り着き、故郷にて双子の娘を授かり、そして成長した子供たちと旅を続けていく・・・
といった感じで、非常に旅感の強いストーリーなんですよね。
自分の分身として遊べる主人公も旅を続けているのですが、そのシーンが明確に出てこないまでも、父も双子の子供たちも主人公がいないところで、それぞれの旅をしていたことが語られます。
ドラゴンクエストの他の作品も世界各地を旅して回るわけですが、旅してる匂いが強いのは「5」かなと思うのです。
擬似的な旅に想像力の翼を
子供のころなんてもう、ろくすっぽ覚えておりませんが、旅というキーワードは、魂なんてものがあるのならすでに埋め込まれ、刷り込まれていたのかもしれません。
ブラウン管のテレビにつないだ小さなゲーム機のスイッチを入れては、繰り返し旅を続けていました。町から町へ、実時間ではものの数分で辿り着くわけですが、その道のりを妄想で補うようになるまでにそれほど時間はかからなかったような気がします。
ロールプレイングゲームをゲームとしての側面だけではなく、ある程度リアルに解釈していくことには他のゲームなどで慣れておりました。
なおかつ、ドラゴンクエストのキャラクターデザインである鳥山明氏の絵には、バッグや道具袋が描かれているものが多くてですね。
「ファンタジーの世界を旅する」ことに対して、リアルな妄想ができる下地がドラゴンクエストにはあったと思うのです。
パンや水などの食料をザックに詰めて、野営の道具を担いで慣れた靴を履いて町を出る。
確かに数分で次の町まで着いてしまうけど、それはゲーム的なデフォルメがされているからで、実際には徒歩で大荷物持っているんだからこれは相当な距離をえっちらおっちら歩いてんるんだ・・・
街道なんて呼べるほど整備されていないであろう、獣道に毛が生えたようなむき出しの土と草っぱらの大地を、風に吹かれながら歩いている絵が浮かんだら脳内補完は完了です。
目の前のモニターから、ほほ現実といっていい架空の国へようこそ、ってなもんで。
そして現実へ
あらためてドラゴンクエスト5を遊んでみて、自力では旅に出られない子供だった自分が、今の私の下地を作っちゃっていたのに気がついたんですよね。
現実にある街、道、風はゲームを通じて生んだ妄想のそれと同等、あるいはもっとワクワクするものでね。
この道を歩いてみたら面白そう、この先へ行ったらどこに出るんだろう、あの角の向こうに何があるんだろうみたいなものが、私の「旅感」のかなりの部分を占めていて。
それはきっと、実際にはコントローラを手にしてそこから1ミリも動くことが叶わなかった、遠い昔の自分の怨嗟にも似た衝動のような気さえします。
決められた通りに歩くようなパッケージツアーが嫌いなのも、旅行ではなく旅だというのも、最初の一滴はそういうところから始まった流れなんでしょう。
いや、なんとなく |
何度もプレイさているはずのドラゴンクエスト5ですが、こういうことを思ったのは初めてでした。元々、思い入れのあるゲームの中でも上位にいたのですが、自分でも気が付かないほど根深く影響を与えてくれた作品なのかもしれません。
さて、ゲームの方はツイートもしていますが、そろそろ終盤。今日もこれから旅に出ようかと思っています。