もちろん、なにも人を騙そうってことじゃありません。悪気はないのですが本当のこととは違うことを言っちゃう、というシチュエーションって、意外とあるんじゃないかと思うのは私だけなんでしょうか。
今回は旅先で嘘をついてしまう、というお話。
嘘からはじまるストーリー
旅先のビジネスホテルにチェックインして手始めにやることと言えば、居心地のいい狭さの部屋のほとんどを占めるベッドにダイブ。ですよね? ここに異論はないですよね?
頭からダイブした状態のまま「旅してる感」が脳の奥から心の果てまで広がるのを、味のなくなったガムくらい噛みしめたあとでやおら起き上がって部屋を見回すと、目に留まるものがあります。
壁際にしつらえたほぼテレビ台といった感じの机に置いてある、手作り感の強いパンフレットです。
『お疲れの身体をリフレッシュしませんか? 60分整体コース5,500円・眼精疲労コース2,500円 ご予約はフロントまで』
リフレッシュしませんかもなにも、二つ返事でリフレッシュしたい、もちろんしたい。
この世の終わりみたいな日々から開放されて、わずかばかりの休日を使って魂の赴くままに街を出たわけですよ。一番心に響く言葉はリフレッシュ。二番目は鮮魚センター。三番目は源泉かけ流しとか、だいたいそんな感じに決まってます。
でも5,500円かぁ…
60分コースに眼精疲労コースは含まれる? いや、含まれないよなぁ。眼の疲れもこのところヤバいし…
予算がないわけじゃないんですよ。ですけど、5,500円はけっして安くもない。
リフレッシュさえ我慢すれば、その数千円で鮮魚センター。レッツ鮮魚できる。もしかしたらレッツ肉もいけるかもしれません。5,500円ってのはそういう値段です。
そうだ、とりあえず空いてるかどうか訊いてみよう、空いてなかったら仕方ないよね。そうだそうしよう。うん。
もしもし、あのマッサージなんですけど…
え、空いてる!?
え、あ、えーとじゃあ60分コースで。時間はいつでも。ええ、はい、どうも…
嘘つきは旅人のはじまり
そんなこんなで。
相変わらず長い「そんなこんな」ですが、ともかくホテルや旅館でマッサージさんをお願いすると、たいてい施術を受けながら世間話になりますよね。
どこから来たんですか、どこへ行くんですかというのが、まあ会話の切り口としては定番中の定番です。
そんな時、本当とは違うことを言っちゃう。そんなことありませんか。
たまたま平日に休みが取れただけのただの旅行なのに、なぜかちょっと後ろめたくて「仕事で」と言ってみたり。
同じ県内の、いつもの行動範囲からちょっと離れた地域に来ただけなのに、「東京から出張で」と言ってみたり。
あの人と待ち合わせです(嘘) |
マッサージさんを呼んだ時の世間話を引き合いに出しましたけど、他にもよくあるのは居酒屋さん。
ビジネスホテルのそばにあるけど、地元の常連さんがメインっぽい感じの、酒のアテがやたら美味そうな居酒屋さんに入っちゃったが最後、
「お客さんあんまり見ないねぇ、どっから来たの?」
「ウチはほらこんなだけどね、◯◯ホテルが近いからね、県外からのお客さんもよく来んのよ」
なんて感じで、切り込んでくるわけです。
気さくでけっして人は悪くなさそうな大将が、熱燗を差し出しながらそんな感じでしゃべり始めちゃったら、いや500メートル先のアパートの二階にもう五年も住んでますけど、とは言えない空気になるじゃないですか。
なんなら二年前に一回来ましたけどと言いたいのを、ちょっと辛口のポン酒で飲み込むことになるじゃないですか。
こういう時って皆さんどうしてるんですかね。この世の旅行者がみんな、コミュニケーション・モンスターとは限らないでしょう。
どうしてるかなんて知るよしもありませんし、仮に知ってもどうしてみようもないんですけど、私の場合はたいてい本当とは違うことを言っちゃいます。
そのほうが気楽に、おそらくもう二度と会わないであろう見知らぬ人と、気を使わない会話ができるような気がするのです。
旅先で日常感のある場所へ行く
軽く飲んで食事しながら明日の予定を考えたいとか、次の電車が来るまでの時間つぶしに入ったんだとか、こっち側としてはお店の人にあまりがんばって接客してほしくない場合ってありませんか。
そんな時に、「わたくし生まれも育ちも葛飾柴又」とか本当のことを言っちゃうと、ろくなことがないのは分かってるんですから。
ほぼ間違いなく妙なトラブルに巻き込まれたり、かわいいマドンナを放っておけなくなって首を突っ込んじゃうわけです。もう何回もそうなんですから。
初詣に来ました(嘘) |
あと、私がちょっと特殊かもしれないなと思うのは、旅先で床屋さんに行ったりするんですよね。一見さんで。ふらっと。
別の記事でも書いてるようにスーパーマーケットとか床屋さんとか、旅先の日常感のあるところへ行きたくなるのです。
そういう場所へ行くと、その土地の素の姿が見える気がするんですよね。旅行者向けの顔ではなく、そこで生きている街の姿の方が見たいんです。
他にも理由はあって。行きあたりばったりに動いているので、待ち時間が不意にできちゃうことがあるのです。
例えば車移動だと着替えをわざわざ準備するより、これから洗濯する服をカゴごと積んでおいて、旅先で適当なコインランドリーへGO! みたいなことをします。
洗濯中の時間は食事したりして上手に過ごすようにしていますが、冬場なんか乾燥時間も長くなってなんだかんだで待ち時間ができちゃうとか。
公共交通機関を使ってると本数の少ない駅やバス亭というのもあるわけで、次の電車やバスが来るまでの待ち時間が結構ある、なんてことも起こります。
他にも、目的のお店がたまたま休業日だったとかそんな具合で、旅なんてそんなにトントン拍子でもなくてね。
効率よく行動なんてまっぴらごめんという性格でもありまして、こんなふうに時間つぶしが必要になるのです。
そうすると、床屋さんって混んでなければですが、髪を切る程度なら小一時間で終わるじゃないですか。結構いい時間つぶしなんですよ。
偽りのストーリー
ただ、こっちとしてはちょっと時間をつぶしたいだけ、当たり障りなく過ごしたいだけ、マッサージとかで疲れを取りたいだけだとしても、やっぱり向こうさんはお仕事ですから。
程度の差はあれ、接客として話しかけてくる。それに対してムスッと過ごすこともできないわけです。
そういった時はこう言おうというストーリーが、ある程度は頭の中で準備してあります。
基本形は、『今日初めて出張で来た明日帰るリーマン』という設定です。
もちろんスーツにネクタイなんかしてるわけもなく、リーマンっぽいとすれば若干疲れてる感じと背中の哀愁だけ、という見てくれの私がそう言うと、ほぼほぼ「そうなんですか」と相槌を打たれるんです。
ここで相手に考える暇を与えたら負けますから。相手は曲がりなりにも接客業。スキを見せてはいけません。
そこで、間髪入れずにこう言うのです。
滞在時間は短いんだけど、
A:今夜、ふらっと立ち寄れる居酒屋あるいは飯屋を知らないか
B:明日の午前中に見て回れるおすすめの観光地はないか
C:会社に買って帰るお土産とか名産品を知らないか
これです。この3パターンを使い分けるのです。
そうすると相手もまず、こっちが投げかけた質問に答えようとしてくれます。
こっちの問いかけを無視して、ここんところのサンマの水揚げ量がとか、ふたつ隣りのゲン爺さんがいよいよだよとか言い出したら、それはもう投了するしかありません。
先ほどの3パターンのいずれにしても、地元の人なら回答しやすいものですし、その後の会話を続けやすいものばかりです。
それはどこに行けばいいのか、なんて名前か、値段はどうかなど、こっちから質問できることがいくつもありますから、そういったものを駆使して若干話がはずんだ感を出すわけです。
ここで重要なのは難しいことを訊かないこと。要するに、会話に集中してしまって相手の手が止まらない程度の内容にしておくこと。これがコツです。
会話に熱中すると、居酒屋さんとかなら注文が出てくるのが遅れるかもしれませんし、床屋さんでも散髪の進みが悪くなるかもしれません。それだけは避けなくてはなりません。長居するのが目的じゃないのですから。
もっとも、床屋さんでこんな感じで話したら、旦那さんから奥さんから引退したじいちゃんから総出で、おすすめの土産物についてヤフー知恵袋的な状態になってしまったってこともあるんですけどね…
旅先で嘘をつく心理
鮭のかぶりモノをして魚卵をぶつけ合う奇祭(嘘) |
嘘をつくというと、反射的に「いけないこと」というイメージもわかります。
ですが、「しなきゃいけない会話をこっちのペースで進めやすい」というメリットが、やってみると結構ありがたいのです。
たまたまふらっと来ただけなんですと本当のことを言うと、そんな客があまりいないせいなのか、接客業の方々はあちらから質問をしてくる場合が多いんです。
こちら側としては時間つぶしですから、先にも書いたようにそんなにがんばって接客してほしくない。つっこんだ会話を求めてないのです。
ですからお店の人の質問に答えているというシチェーションが続くと、ちょっと面倒な空気になったりシャットアウトするのも気がひけたりして、だんだん居づらくなってきちゃうんですよね。
それはそのかたが悪いわけでもなんでもなく、私の性という、もう仕方がないことなんです。
黙って店内を流れるブルースに身を委ねていると、必要なこと以外は話さずにテキパキと髪を切ってくれるような、高倉健的な床屋さんなんてそうそうありません。
あったとしても、旅先でいきなり見つけられたらまあまあの奇跡なんです。
そこで、前提として偽りの自分、偽りのストーリーを提示することで、今ここにいるもっともらしい理由付けをするとともに、自然とこっちから質問を振る流れにもなる。
そうすることで、素直に答えるのがうとましいような面倒な会話を続けるよりはマシなんじゃないかという、ややこしい心理なのです。
上手くすれ違いたい
旅先での出会い、みたいなものって強調されがちですし、ともすると美談っぽかったりしますけど、個人的にはサラッと流して上手くすれ違いたいと思っています。
人ひとり分よりちょっと広いくらいの狭い吊り橋の上で、譲り合って通るようなもんです。どうも、なんて会釈して通り過ぎればよくて、間違ってもそこからはじまるストーリーはご勘弁いただきたい。
狭い橋から見える風景をあるがまま見てみたい、そこを通る人を傍観者、観察者、邪魔にならない路傍の石として見たいけれど、仲良くなる度量もなければ干渉されてもキツい。
そして、できれば空気のように影響を与えることなく、問わず語らずでありながらも旅で訪れたその場所の「日常」を見たいと思っています。
これが私の旅でずっと根底にある、ふんわりとしたテーマというか目的という気がしています。
だから旅先で嘘をついてしまう、というお話でした。